稲荷山古墳 (行田市)
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稲荷山古墳(いなりやまこふん、埼玉稲荷山古墳)は、埼玉県行田市埼玉にある古墳。形状は前方後円墳。埼玉古墳群を構成する古墳の1つ。国の特別史跡に指定され(特別史跡「埼玉古墳群」のうち)、出土品は国宝に指定されている。
注釈
- ^ これら出土品は1981年に重要文化財に指定され、1983年に未指定物件を追加のうえで国宝に指定された(昭和56年6月9日文部省告示第114号および昭和58年6月6日文部省告示第81号)。文化庁公式サイトの「国指定文化財等データベース」では1983年の追加指定分が反映されていないため、一部出土品の員数が誤って記載されている。
出典
- ^ (斎藤ほか 1980)129頁
- ^ a b 小川良祐 「埼玉稲荷山古墳の新情報」『ワカタケル大王とその時代-埼玉稲荷山古墳』 3-30頁
- ^ a b 坂本和俊 「考古学からみた稲荷山古墳の出自」『稲荷山古墳の鉄剣を見直す』 24-61頁
- ^ (若松ほか2007)33頁
- ^ (若松ほか2007)157頁
- ^ "稲荷山古墳に「真のあるじ」? 未知の埋葬施設か"(朝日新聞、2016年12月30日記事)。
- ^ 橋本博文 「東国における埼玉稲荷山古墳の位置づけ」『ワカタケル大王とその時代-埼玉稲荷山古墳』 31-68頁
- ^ 白石太一郎 「五世紀の前方後円墳の動向と稲荷山古墳」『稲荷山古墳の鉄剣を見直す』 109-121頁
- ^ 和田萃 「ヲワケ臣とワカタケル大王」『稲荷山古墳の鉄剣を見直す』 122-131頁 なお和田は礫槨被葬者はヲワケ臣の子どもで、鉄剣はヲワケから礫槨被葬者に与えられた、とみている
- ^ 小林敏男 「一一五文字の銘文が語る古代東国とヤマト王権」『稲荷山古墳の鉄剣を見直す』 94-108頁
- ^ 『中野区史. 上巻』。
- 1 稲荷山古墳 (行田市)とは
- 2 稲荷山古墳 (行田市)の概要
- 3 概要
- 4 副葬品
- 5 未発見の埋葬施設
- 6 参考文献
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