未発見の埋葬施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 16:35 UTC 版)
「稲荷山古墳 (行田市)」の記事における「未発見の埋葬施設」の解説
この古墳の礫郭及び粘土郭は後円部の中央からややずれたところにあり、しかも出土した副葬品の編年から古墳築造時期より新しい6世紀前半に位置付けられるため、中央にこの古墳の真の造墓者の為の主体部が有ると考えられている。実際1998年に行われたレーダー調査では、墳頂東端部と中央部で埋葬施設らしき反応が出ている。 また1937年に前方部を崩したときに石組みが出てきて、中から固まった鏃、錆びた刀などが出土したと伝えられている。 1997年に行われた発掘調査では、後円部側の外堀から緑泥片岩などの岩石片がまとまって出土した。稲荷山古墳では葺石は確認されておらず、また最も大きいものは1.0×1.2m・重さ0.5tもあるため、これは石室石材として使われる予定だったものが運搬中に堀に転落し、回収されなかったものである可能性が高い。このことから未発見の主体部は割石積みの竪穴式石室(槨)が想定されている。この未発見の主体部に関しては、2016年(平成28年)にもレーダー探査で構造物の存在が認められている。
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