4-6歳(1996年-98年)
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3歳となった1996年、3月2日のチューリップ賞(GIII)で始動。2.3倍の1番人気に推されたが、僅差の2.7倍の2番人気は前走下したエアグルーヴであった。ビワハイジは大外枠からスタートし、2番手に位置。最終コーナーで先頭に立ったが直線でエアグルーヴにかわされ、それから5馬身差をつけられ2着となり、初めて敗戦した。4月7日の桜花賞(GI)では、優勝が期待され大きな注目を浴びたエアグルーヴが、直前で感冒のため回避。敗れた相手のいなくなったビワハイジに支持が集まり、僅差の2番人気に推されていた。レース前には公表されていなかったが、ビワハイジは出走直前に歯替わりと発情をしており、熱発など体調不良の中、出走することとなった。スタートから好位に位置取り、直線に入ったが全く伸びず15着に敗れた。 続いて、中島は次走に同じ距離のNHKマイルカップや牝馬限定の優駿牝馬(オークス)ではなく、牡馬が多数出走する東京優駿(日本ダービー)を希望した。中島は希望した理由について、距離延長でも通用することと、この時点では牡馬と牝馬の力量差が小さいことを挙げていた。また、河村清明によれば、中島には「1993年(中略)ビワハヤヒデが2着に敗れた悔しさ」も存在したという。浜田は反対していたものの、優駿牝馬に出走してもエアグルーヴには敵わないとも考えていた。6月2日、シャダイソフィア以来13年振りの牝馬による東京優駿出走が実現したが、13着敗退。レース後、左前脚骨折が判明し、1年以上の休養を強いられた。 1997年10月18日、カシオペアステークス(OP)で復帰。その後、2戦に出走するも勝利には至らなかった。6歳となる1998年も現役を続行し、1月31日の京都牝馬特別(GIII)にオリビエ・ペリエに乗り替わり出走。大外枠から先頭となり逃げると、ムチが入らないまま直線に入り、そのまま先頭で入線。後方に2馬身差をつけて2年振りの勝利で、重賞3勝目を果たした。レース後に左前脚骨瘤が確認されたため、競走馬を引退した。
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46歳
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剣道の最高位である八段が取得できる年齢(七段受有後10年以上が受審条件)。
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