鴨川の風景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 15:00 UTC 版)
『ある心の風景』の第4章で展開されている鴨川の河原での情景は、1924年(大正13年)の秋に書かれたスケッチノートの詩(86行)が元になっている。この年の8月の1か月間、基次郎は姉・冨士の宮田夫婦が住む三重県飯南郡松阪町殿町1360番地(現・松阪市殿町)に養生を兼ねて滞在していた(詳細は城のある町にて#作品背景を参照)。その後、大阪に帰郷した基次郎は、秋に京都の鴨川に行った。 河原に出で 北を見る、 打ちかさなつた山脈、 織物会社の円窓、 白い壁、赤い煉瓦、 また日が射して物売りのらつぱ。こゝの磧から通りを見ると いゝ気持だ、 青服の少女も通つた。 遠くで杭を打つ音がする、 測量師の長いテープが秋の空気の中に光る、自転車 人力車鴨川市場の裏、 積み重なつた黒い樽、(中略)景物よ、風物よ、 赤いポスト、黒いのはタールの樽だらう 二つの荷馬車よ、 水に網を投ずる人、 かさかさ転つてゆく新聞紙 こゝの裏から眺めると ほんとにいゝな。 裏といふ裏はいゝな。 さつきからうろついてゐる犬よ、 左手で石投る子供よ。 風に動く白い槿、 二人してひいてゆく荷馬車 二人ゐる児、 四人連れて(で)歩みゆく子、 空地に材木を運び 鋸にかんなの音させてゐる 十人程の人。(中略)梧桐はたわゝに黄色い果をつけ 吹く風に揺いでる、 大木の梢は高い空気の中にゐて高いのがいゝのだ、 こゝまで来ればね! その高い空中がいゝのさ、 — 梶井基次郎「日記 草稿――第四帖」(大正13年) この詩は、エミール・ヴェルハーレンの長詩「都会」からの「かなたには馬車動き、荷車過ぎ 汽車は走り、活力は飛ぶ」といった詩句や、向井去来の「物うりの尻声高く名乗すて」や松尾芭蕉の「加茂のやしろは能き社なり」の句の影響も指摘されている。
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