魚嘴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 02:17 UTC 版)
岷江の流れを適切な比率で本流と灌江に分ける「魚嘴」は最も重要な構造物である。外側の本流の広さは 150 m 、内側の灌江の幅は 130 m となっており、川の地形も活用して水量を配分している。春の水量が少ない時期は4割が本流へ、6割が灌江へ流れ農業用水を確保する。春や夏の増水時には水が「魚嘴」の先端を乗り越えるため、6割が本流へ向かい灌江があふれるのを防ぐ。これが「分四六、平潦旱」と表現されているこの堤防の機能である。 また、堤防にはかつては「榪槎」というテトラポッド状の木枠が置かれていた。これは外を竹に覆われ、中に土砂がたまる仕組みのもので、農業用水が必要な時は外の本流側にこれを置き本流の流れを制限して灌江へ導入する。田に水が漲られ、川の水位も増大する季節には本流側の「榪槎」は除去され本流の流れをスムーズにする。1974年に本流側に閘門が完成したことで「榪槎」の役割は終わった。 「魚嘴」の先端部は半月形でその名の通り魚の口状となっており、現在は石とコンクリートで築かれている。長さは 80 m 、幅は広い所で 39.1 m 、高さは 6.6 m 。「魚嘴」の下流には「金剛堤」が続き三日月状の中州を形成する。灌江側は延長 650 m 、本流側は延長 900 m 。金剛堤と中州が終わった部分より下流には「飛沙堰」という灌江から本流へつながる排水路と、さらなる中州と堤防の「人字堤」が続く。「魚嘴」の上流には全長 1,950 m の「百丈堤」という護岸があり、あふれる水と土砂を川の西寄り(本流)に跳ね返すようになっている。 歴史的に、「魚嘴」の位置は、岷江流域を襲う大洪水や大地震などにより変動しており、建設当初より 2 km 近く下流にある。1933年8月25日の畳渓大地震(茂県大地震)の際に岷江上流にできた堰止湖が、同年10月9日に決壊して当時の都江堰を押し流し、1936年にようやく再建工事が完了した。現在の都江堰の位置はこの際に確定した。
※この「魚嘴」の解説は、「都江堰」の解説の一部です。
「魚嘴」を含む「都江堰」の記事については、「都江堰」の概要を参照ください。
- >> 「魚嘴」を含む用語の索引
- 魚嘴のページへのリンク