飛沙堰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 02:17 UTC 版)
堰の中ほどにある幅 200 m ほどの開口部・「飛沙堰」は灌江側から本流側に土砂や余分な水を戻すためのもので、洪水になっても灌江側が氾濫しないように、灌江側の水流が岷江本流へ戻るような仕組みとなっている。 もとは「侍郎堰」といい、唐の高宗の龍朔年間(661年 - 663年)に建設された。飛沙堰は、金剛堤の上流側から 710 m の位置に、灌江側から本流側に向かって斜めに開いた開口部で、その幅一杯に川床から 2 m の高さの堰が作られている。運河に水が殺到し成都平原で洪水にならないよう、また運河が土砂で埋まらないように設けられたもので、遠心力で土砂や石が本流側に向かうように設計されている。渇水時に川面が低くなった時には、灌江の水は飛沙堰に阻まれて全量運河側へ入る。 水が運河の入口(宝瓶口)からあふれた時や増水の時は、水は宝瓶口の手前で滞留し回転し、飛沙堰を乗り越えて本流へと流れる。同時に、灌江側にある虎頭岩を周りこむ際の遠心力で土砂の大半が本流側に排出される。
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