鬼切との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 08:31 UTC 版)
「鬼切安綱」も参照 源氏重代とする太刀は童子切の他にも存在が確認される。京都の北野天満宮の鬼切安綱(鬼切丸・髭切とも呼ばれる)や、多田満仲を祀った兵庫県川西市の多田神社の鬼切丸である。 鬼切安綱の銘は、安の字が国に見えるよう改竄してある。布施幸一は、鬼切安綱の銘の改竄の背景には童子切安綱や鬼丸国綱の存在が影響したことは否定できないだろうとしている。豊臣秀吉が名刀を蒐集していく過程で類いまれな安綱の太刀を入手し、有力な鑑定家であった本阿弥光徳が関与して『太平記』の鬼切が安綱作であったことや、大江山の酒呑童子の説話が加味されて童子切安綱という新たな名物を誕生させたのでないかと仮説を立てて推測している。桃山時代から江戸時代初期にかけて童子切安綱が世に知られたことで、最上家では鬼切安綱に気後れを感じ、安綱銘を国綱銘に改竄して、敢えて鬼切丸と呼称したのではないかとする説である。 最上義光の時代には、名刀や名物刀剣の存在が大名の間で知れ渡っていたと思われ、安綱の名を見出すことができないが国綱の名があり、国綱の太刀は希少価値があり優秀な作品の一つとして選定されていた。最上家では童子切安綱という新たな名物が生み出されたのと相まって鬼丸国綱に紛れるような「鬼切丸国綱」を創出したのではなかろうかと私見を述べている。
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