駿府での家康暗殺編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:34 UTC 版)
松井 凛太郎(まつい りんたろう) 貢喬助とともに小野忠明の高弟で小野派一刀流の竜虎と呼ばれる。大柄である。本多正純の命令で木刀試合で井上勘兵衛の腕を負った。喬助とともに徳川家康の警護に付いていたが、飛猿の罠にかかって沼で喘いでいる間にあずみに家康を討たれ、切腹を免れなくなり、このまま切腹して果てるのでは死にきれぬとあずみに決闘を申し込んだ。あずみはその場では返答しなかったが、彼らの願いに応じて指定された場所に現れた。小野忠明の立ち会いのもとあずみとの果たし合いに及ぶ。先に立ち会った喬助が斬られて膝をついた後、抜刀してあずみに挑んだが、彼女に顔面を斬られて即死。喬助より先に逝った。 貢 喬助(みつぐ きょうすけ) 松井凛太郎とともに小野忠明の高弟で小野派一刀流の竜虎と呼ばれる。笛の名手でもある。凛太郎とともに徳川家康の警護に付いていたが、飛猿の罠にかかって沼で喘いでいる間にあずみに家康を討たれ、切腹を免れなくなり、このまま切腹して果てるのでは死にきれぬとあずみに決闘を申し込んだ。あずみはその場では返答しなかったが、彼らの願いに応じて指定された場所に現れた。小野忠明の立ち会いのもとあずみとの果たし合いに及ぶ。凛太郎より先に立ち会ったが、あずみに胸を斬られて膝をつく。その後あずみに挑んだ凛太郎も顔面を斬られて即死。戦えて満足だったとあずみに感謝するとともに剣を競い合ってきた凛太郎と離れないうちに止めをさしてほしいと願い、あずみに止めをさされて死亡した。 小兵太(こひょうた) 父親が小野忠明の旧友で父親の戦死後忠明が預かって剣を教えていた子供。松井凛太郎と貢喬助に憧れている。井上勘兵衛に会いに駿府に来たあずみは、しばらくの間小兵太の部屋で一緒に暮らしていたので親しくなった。凛太郎・喬助とあずみの果たし合いの場に忠明に連れられて居合わせる。好きな人たちが斬り合うのをやめて欲しがっていたが、忠明から剣を志すなら剣士同士の果たし合いを見届けるよう諭される。凛太郎・喬助を倒して立ち去るあずみを泣きながら見送った。 小野忠明(おの ただあき) 小野派一刀流の祖。剣一筋の武人であり権勢を増大させる柳生宗矩を嫌い、柳生に敵愾心を燃やす。宗矩より強いと見られている。小野一門は駿府における徳川家康の警護を担当していた。高弟の松井凛太郎と貢喬助を最高傑作と自負していたが、その2人があずみに倒されるのを見届けた後、あずみに師匠の名を尋ね、あずみは小幡月斎の名を答えた。無名の恐るべき剣の師がいたことを知って愕然とし自らの完敗だと悟った。 徳川家康(とくがわ いえやす) 初代征夷大将軍。息子の秀忠を侮蔑し大御所として君臨し続けるため、秀忠やその側近の柳生宗矩から目障りに思われている。井上勘兵衛が幼いころ、彼の家族を残忍に殺害した。勘兵衛の悲願や秀頼の無念を晴らすため、あずみは家康を討つことに決める。鷹狩をしていたところをあずみの襲撃を受け、大勢の護衛たちを全滅させられた後、自分の持っている剣が井上勘兵衛から預かった剣であることを語るあずみに「お前、何者だ!?」と叫びながら斬りかかるも、あずみに勘兵衛の剣で胸を貫かれた。あずみは小幡月斎に育てられた戦士を名乗るとともに、恨みではなくけじめだと思うよう告げた後、剣を引き抜いて彼を絶命させた。
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