駐膠澳ドイツ軍司令
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1897年11月7日、上海にいたドイツ帝国海軍東洋艦隊司令官オットー・フォン・ディーデリクス(英語版)少将は曹州教案を口実とする膠州湾占領作戦開始の命令を受け、11月14日、ドイツ海兵隊は長期航海途中の上陸と陸上訓練とを口実に膠州湾に上陸、戦闘なしで膠澳の総兵衙門にいた清国兵たち1,000人以上に退去を命じ、湾岸全域を占領した。1898年2月11日、防護巡洋艦プリンツェス・ヴィルヘルム(英語版)艦長オスカー・トルッペル(中国語版)中佐は臨時に駐膠澳ドイツ軍司令に任命された。1898年3月6日、ドイツ政府と清政府は《膠澳租借条約(中国語版)》を締結、青島地区は膠州湾租借地となる。ドイツ海軍は租借地最高行政機構として膠澳総督府を設立し、総督は租借地の軍政に大きな権限を持った。同年4月15日、初代総督クルト・ローゼンダール(中国語版)が着任。 代氏名肖像出生地任期階級および兼職備考および出典1 オットー・フォン・ディーデリクス(英語版) プロイセン王国ミンデン 1897.11.14-1898.1 海軍少将、東洋艦隊司令官 2 オスカー・トルッペル(中国語版) シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国カッツヒュッテ(ドイツ語版) 1898.2.11-1898.4.15 海軍中佐、プリンツェス・ヴィルヘルム(英語版)艦長 臨時に駐膠澳ドイツ軍司令。
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