駐豪大使
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 14:54 UTC 版)
「ジョン・トーマス・シーファー」の記事における「駐豪大使」の解説
2001年8月23日にシーファーはキャンベラのオーストラリア政府に信任状を提出した。問題のきわめて少ない米豪関係を反映して、アメリカ合衆国の在オーストラリア大使には外交経験の無い大統領の支持者が任命されることが多く、オーストラリア政府としても、時の大統領と個人的に親しい人物であれば問題視しない姿勢をとっている。 シーファーがキャンベラに到着して1週間も立たないうちに、アメリカで同時多発テロが発生した。この日シーファーはオーストラリアのジョン・ハワード首相に同行してワシントンD.C.に滞在していた。オーストラリアへと戻った彼は、しばしばメディアに出演してテロへの非難とアメリカの世界政策への賛同を訴えた。 2002年から2003年にかけてはシーファーには保守ハワード政権と密着し過ぎているのでは無いかとの批判が寄せられることもあった。ハワード首相は2003年のイラク戦争においてもアメリカ合衆国を全面的に支持し、部隊をイラクに送っている。 2001年11月のオーストラリア総選挙後には、それまでテロを受けて超党派でアメリカを支持してきたオーストラリア政界において、シーファーとオーストラリアの野党労働党との関係は、党首がアメリカに友好的なキム・ビーズリーからサイモン・クリーンへと変わったため気まずい物になった。2003年12月にマーク・ラサムが党首に就任すると、関係はさらに悪化した。 2004年アメリカ合衆国大統領選挙でブッシュが再選を果たすと、シーファーは次期在オーストラリア大使には就任しないことを発表した。2004年の末に彼はワシントンへと戻ったが、正式な辞任は翌年2005年4月1日付けとなっている。
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