馬路石辺神社とは? わかりやすく解説

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馬路石辺神社

読み方:ウマジノイソベジンジャ(umajinoisobejinja)

教団 神社本庁

所在 滋賀県守山市

祭神 建速素盞嗚命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

馬路石邊神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/18 16:56 UTC 版)

馬路石邊神社

本殿
所在地 滋賀県守山市吉身4丁目4-1
位置 北緯35度03分37.3秒 東経135度59分58.8秒 / 北緯35.060361度 東経135.999667度 / 35.060361; 135.999667 (馬路石邊神社)座標: 北緯35度03分37.3秒 東経135度59分58.8秒 / 北緯35.060361度 東経135.999667度 / 35.060361; 135.999667 (馬路石邊神社)
主祭神 建速須佐之男命
大己貴命
社格 式内社(小)
郷社
創建 (伝)白鳳3年(663年
本殿の様式 三間社流造檜皮葺
例祭 5月4日
主な神事 豊年踊(5月4日)
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馬路石邊神社(うまじいそべじんじゃ)は、滋賀県守山市にある神社式内社で、旧社格郷社。神紋は「木瓜」。

祭神

主祭神は以下の2柱。

歴史

天武天皇の御代である白鳳3年(663年)に創祀され、朱鳥元年(686年)に大己貴命を合祀したと伝わる。往古、馬道郷を拠点とする豪族であった石辺君氏が氏神として奉斎した神社である。

平安時代中期の『延喜式神名帳』には「近江国野洲郡 馬路石邊神社」と記載され、式内社に列している。中世には田中荘の鎮守社として「田中大明神」・「田中天王社」と呼ばれた。

戦国期には六角氏の崇敬を受けたが、元亀天正の争乱により社殿等を失った。江戸時代に入り再建され、現在の社殿は文久2年(1862年)のものである。

明治9年(1876年近代社格制度において村社に列し、明治14年に郷社に昇格した。

境内

現在の社殿は、文久2年(1862年)造営。

参道途中には、神輿を埋めたとされる神輿塚が立つ。

摂末社

摂末社

摂末社は、境内の東方に集めて建てられている。

主な祭事

  • 春祭(5月4日・5月5日)[1]
    5月5日に豊年踊(守山市指定無形民俗文化財)の奉納が行われる[1]
  • 秋祭(10月第三土曜日)[1]
    そうもく千燈(狂言奉納)が行われる[1]

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 「中山道守山宿」まるごとガイドブック”. 守山学区・吉身学区まるごと活性化プラン推進委員会. p. 4. 2025年3月18日閲覧。

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