香港ロケ
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香港ロケは1981年5月13日から16日まで行われた。 5月13日にランタオ島での海上シーンの撮影。仇を追ってモーターボートで島に向かうシーンの撮影を予定していたが風が強く波も高かった。スタッフが鈴木監督に「吹き替えでやりましょう」と進言。真田は「香港くんだりまでロケにきて、吹き替えを使われたんじゃ、アクション・スターの名前に傷がつく」と怒り、「桃山城の天守閣(セット)から飛び降りたことを考えりゃ(『忍者武芸帖 百地三太夫』での撮影)、どうってことないですよ! 」と必死に鈴木に食い下がった。真田はどんな危険なシーンでも一度も吹き替えを使ったことはなく、一度でもスタントマンを使えば、映画を観るお客さんは「あれは別の人がやってるんだ、と思うに違いない、中学からJACに通い苦労したことが水の泡になってしまう」という自身のアクション・スターとしての誇りから鈴木を説き伏せた。モーターボートは時速80キロで吹き飛ばし、水煙で前は見えず、カメラも追えないスピードだった。撮影終了後はパンツまでぐっしょり濡れた。 5月14日、香港二階建てバスの屋根の上での決闘シーンの撮影。小雨が降りバスの屋根は濡れて滑りやすく、しかも想像以上に揺れが激しかった。撮影は香港のメインストリート・ネイザンロード。屋根から落ちれば、後続の車に確実に轢かれる。失敗は許されない。念入りに打ち合わせ後、30キロから40キロのスピードでバスを走らせアクションスタート。道路上に張り出した看板がやけに多く、そのたびに屋根に這いつくばらなくてはならない。突然本物のパトカーがサイレンを鳴らし追って来て、助手席の警官がピストルに手をやったため、バスが急停車。あやうく振り落とされそうになる。警官と話がつきロケが再開された。バスの屋根から看板に飛び移るシーンは一発で決めた。 5月15日、九龍城ロケ。ここは現地の人も怖がって足を踏み入れず、映画のロケ隊が入るのは初めてといわれた。香港の暗黒街を支配する大ボスに話をつけロケが許可された。人一人がやっと通れる細い路地ばかりで昼間なのに薄暗く異様な匂いが漂う。ロケ隊前で若い女がスカートを捲り上げ麻薬を注射したり、小さな子供までタバコを吸うような場所だった。鈴木はこれら香港ロケは、鈴木の友人でショウ・ブラザーズ副社長だった蔡瀾が裏から手をまわしてくれ、通常絶対撮影不許可のロケが敢行できたと述べている。 5月16日、水上レストランのシーンで香港ロケ終了。
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