養老電気鉄道・伊勢電気鉄道とは? わかりやすく解説

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養老電気鉄道・伊勢電気鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 16:59 UTC 版)

養老鉄道養老線」の記事における「養老電気鉄道・伊勢電気鉄道」の解説

伊勢電気鉄道はこの譲渡直前9月11日伊勢鉄道から社名変更したが、同日四日市銀行頭取熊澤一衛社長に就任した熊澤四日市銀行資金源積極策を打ち出すことになる。伊勢電気鉄道電化完成させる揖斐川電気より譲受した桑名 - 四日市間の工事着手した。さらに1928年昭和3年2月養老電気鉄道設立し4月揖斐川電気熊澤監査役就任)より鉄道事業譲受した。桑名 - 四日市間を1929年昭和4年1月開業させた伊勢電気鉄道10月養老電気鉄道合併し11月13日に津新地 - 大垣直通急行列車の運行開始したその後伊勢電気鉄道宇治山田名古屋への延伸すすめた有利子負債は1379万円昭和5年度)まで増加し昭和恐慌影響収入伸び悩んだこのような時期熊澤五私鉄疑獄事件検挙され1932年昭和7年2月社長辞任3月には信用不安により預金流出続いた四日市銀行営業休止追い込まれた。そして7月には養老線強制管理実施されることになる。これは明治生命保険120万円東京海上火災保険三菱海上火災保険65万円250万円借入金があり、この返済滞ったため鉄道財団設定され養老線差押えられる事態となった伊勢電更生の道を模索することになった再建策はなかなかさだまらなかった。当初専務取締役武藤嘉門指揮を執っていたが、大口債権者ある日興業銀行推薦により1931年昭和6年11月から高橋真男が加わり1933年昭和8年7月半田貢にかわった名岐鉄道根津嘉一郎 (初代)支援要請検討されたが結局三井興銀了解のもと大軌参急交渉をすすめることになる。ようやく伊勢電気鉄道整理案がまとまり桑名 - 揖斐間の路線分離して1936年昭和11年5月養老電鉄株式会社設立本社大阪社長金森又一郎)し譲渡することになった

※この「養老電気鉄道・伊勢電気鉄道」の解説は、「養老鉄道養老線」の解説の一部です。
「養老電気鉄道・伊勢電気鉄道」を含む「養老鉄道養老線」の記事については、「養老鉄道養老線」の概要を参照ください。

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