養老鉄道時代とは? わかりやすく解説

養老鉄道(初代)時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 16:59 UTC 版)

養老鉄道養老線」の記事における「養老鉄道初代)時代」の解説

四日市港敦賀港を結ぶ鉄道敷設計画した四日市井島茂作三重県岐阜県沿線有力者説き歩き、その賛同得て出した鉄道敷設願いに対して1897年明治30年)に仮免状下付された。しかし沿線利害関係当時揖斐川牧田川水門川舟運が盛んであった。また大垣以北誘致争いもあった。)や不況かさなり実現目処がたたなかった。1911年明治44年)になり井島地元出身である立川勇次郎養老鉄道建設参画するよう依頼した立川社長となり(初代)養老鉄道設立1913年大正2年7月養老 - 大垣 - 池野間が開業することとなった用意した車両はすべて中古車鉄道院より機関車5両、南海鉄道より客貨車購入した。また養老公園整備養老ホテル建設行った。 そして第二期工事となる桑名 - 養老間、池野 - 揖斐間は1916年大正5年)に工事着手したが、第一次世界大戦勃発のため資材高騰したこのため工事は遅れ1919年大正8年4月全線開通となり、養老線総延長は56kmとなった。 さらに当初の目的である桑名-四日市間の延長路線出願繰り返していたが、国有鉄道関西本線並行するので必要なしと却下されていた。しかし1919年大正8年12月関西本線とは「其ノ目的異ナルモノアリ」として免許下付されることとなった次に電化計画立て立川社長務めていた揖斐川電気より電気供給を受けることに決定した

※この「養老鉄道(初代)時代」の解説は、「養老鉄道養老線」の解説の一部です。
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