飛行試験と試作機の損失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 17:57 UTC 版)
「F-117 (航空機)」の記事における「飛行試験と試作機の損失」の解説
1977年11月4日に、ロッキード社のバーバンクの施設で最初のエンジンテストが行われた。その後も空港が閉鎖された真夜中に限定したうえで、カモフラージュ用のネットがかぶせられて実験が繰り返された。近隣からはその騒音による苦情があったが機密は保持され、後にネバダのグルーム乾湖にその場は移された。 契約締結からわずか20ヶ月しか経っていない1977年12月1日に初飛行テストが敢行される。35回のテスト飛行が無事行われたが、1978年5月6日に行われた36回目のテストで着陸に失敗。右主脚が途中まで引き込み、ロックができないと判断されたため、高度3,000mまで上昇したのち燃料を完全に消費しパイロットは射出座席により脱出した。エンジンが停止したHB1001は、背面姿勢のまま地上に落下し大破した。また、ロッキード社のテストパイロットのビル・パークは射出座席が正常に分離せず降下時に重傷を負い、引退を余儀なくされた。 事故前から製作が始まっていた2機目のHB1002が、1978年7月20日(同年3月から4月には既に初飛行を行なったとの説あり)に初飛行し、試験飛行を引き継いだ。後に52回の飛行が行われたが53回目の飛行中に油圧系統の故障によりエンジンから発火、炎上した。この2機の破損した実験機は極秘裏に処分され、F-117およびB-2といったステルス機が公開されるようになった現在でもトップシークレット扱いで、わずかに公開された写真を除き、その詳細は不明のままである。 両機とも失われたハブ・ブルーであったが、飛行試験中はアメリカ空軍が誇るE-3早期警戒管制機ですら極めて近距離での状況以外、探知はできなかったなど、ステルス機としての性能を見せつけた。 1978年11月、アメリカ議会は極秘に実用型ステルス戦闘機の開発を承認、本格的な開発に移行した。
※この「飛行試験と試作機の損失」の解説は、「F-117 (航空機)」の解説の一部です。
「飛行試験と試作機の損失」を含む「F-117 (航空機)」の記事については、「F-117 (航空機)」の概要を参照ください。
- 飛行試験と試作機の損失のページへのリンク