風土記説話との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:31 UTC 版)
『播磨国風土記』の説話との関連を指摘する研究者もいる。讃容郡の条の話には次のようにある。天智天皇の頃、仲川の里に住んでいた丸部具(ワニベのソナフ)と言う人が、河内の兔寸(トノキ)の人が持っていた剣を買ったが、一家の者全て死に絶えてしまった。その後、里長の犬猪(イヌイ)が具の跡地で畠を作っていたら、この剣があった。柄は朽ちていたが、刃は錆びず、「光、明らけき鏡の如し」であった。犬猪は怪しみ、家に帰って刀鍛冶を呼び、「その刃を焼かしめ」たところ、「この剣、申屈(のびかがみ)して蛇の如し。鍛人(かぬち)大きに驚き、営(つく)らずして止みぬ」。犬猪は神性のある剣と思い、朝廷に献上した(天智紀即位前記に播磨から宝剣献上の記載がある)が、天武天皇の時に元に返され、今は里長の宅にある。 この剣を購入した為に一家が全滅した事、再度熱したら蛇の如くなった事、朝廷に献上したが、戻ってきた事が語られている。7世紀末の出来事としているが、現在、出土している蛇行剣のほとんどは錆びた状態である(柄がないものもある)。科学的に説話を考察するのであれば、クロムメッキ加工の剣であれば、錆びにくいが、古墳時代の日本にクロムメッキ製の刀剣を造る高度な技術は存在しない。遵って、あくまで神性を高める為の話と考えられる。いずれにせよ、蛇の如く形状をした鉄剣を神聖視していた事は分かる内容である。考古学者である石野博信は、日本神話に登場する十束剣についても、蛇のような動きをしたと言う文法上の表現から、古代日本において蛇の形状をした剣が神性のあるものとして認知されていた事を語っている。
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