風土記の「白幡」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 02:17 UTC 版)
『常陸国風土記』の行方郡のくだりには、降伏の意図で「白幡」を掲げたという記述が見られる。芸都の郷でヤマトタケルが当地のまつろわぬ民、キツヒコとキツヒメを平定した時、ヤマトタケルがキツヒコを即座に斬り殺したのを恐れてキツヒメは「白幡」をかかげ、道に迎えて拝したという。キツヒメはこれによって許され、仕えることになった。おそらくこれが日本の文献では最も古い「降伏の意味での白旗」の出例である。
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