青銅の人間と『歴史』
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「エジプト第26王朝」の記事における「青銅の人間と『歴史』」の解説
プサメティコス1世の治世以降については、ヘロドトスの『歴史』に詳しい記録が残されている。ヘロドトスによればプサメティコス1世が王位についた頃、彼は他の下エジプトの支配者達と対立し、侮辱を受けた上に沼沢地帯へと追いやられた。彼らへの報復を望んだプサメティコス1世は、その方法を求めてプトの町のレートーの宣託所に使者をやったところ、「青銅の男子らが海より出現する時、報復は遂げられん。」と言う神託が下った。プサメティコス1世は「青銅の人間」が自分を助けに来ると言うこの予言を不信の念を持って受け止めたが、間もなくイオニア系ギリシア人とカリア人の一隊が、略奪目的の遠征中にエジプトに漂着するという事件が起きた。彼らは上陸地点でやはり略奪を働いたが、青銅製の武具で武装していた。このような武装を見たことがなかったエジプト人は、沼沢地帯のプサメティコス1世の下で、「青銅の人間が現れて平野を荒らしております。」と報告し、これを聞いたプサメティコス1世は神託が実現したことを悟り、ギリシア人とカリア人達に莫大な報酬を約束して自軍に引き入れた。そして彼らの助けを得て、下エジプトの他の支配者達を撃破し、これを統一することに成功した。 ギリシア人とカリア人達はその後恩賞を受け取り、ナイル川のペルシウム支流の「陣屋」に居住させられたが、後にイアフメス2世(英語版)によってメンフィスに移され、王の護衛隊とされた。そしてギリシア人達は彼らによって、その後のエジプトの歴史を知ることができたのだと言う。 我々ギリシア人がプサンメティコス王以降後代にわたってエジプトに起こった事件を全て詳細に知っているのは、エジプトに定住した彼らと我々が交渉を持つに至ったからに他ならない。実際エジプト人と言語を異にする者でエジプトに永住したのは彼らが最初で、彼らが立ち退く以前に居住していた地域には船渠や住居遺跡が私の時代まで残っていた。
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