青銅の人間と『歴史』とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 青銅の人間と『歴史』の意味・解説 

青銅の人間と『歴史』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 21:52 UTC 版)

エジプト第26王朝」の記事における「青銅の人間と『歴史』」の解説

プサメティコス1世治世以降については、ヘロドトス『歴史』に詳しい記録残されている。ヘロドトスによればプサメティコス1世王位についた頃、彼は他の下エジプト支配者達と対立し侮辱受けた上に沼沢地帯へと追いやられた。彼らへの報復望んだプサメティコス1世は、その方法求めてプトの町のレートー宣託所に使者をやったところ、「青銅男子らが海より出現する時、報復遂げられん。」と言う神託下ったプサメティコス1世は「青銅の人間」が自分助けに来ると言うこの予言不信の念を持って受け止めたが、間もなくイオニアギリシア人カリア人の一隊が、略奪目的遠征中にエジプト漂着するという事件が起きた。彼らは上陸地点でやはり略奪働いたが、青銅製の武具武装していた。このような武装見たことがなかったエジプト人は、沼沢地帯のプサメティコス1世の下で、「青銅の人間現れ平野荒らしております。」と報告し、これを聞いたプサメティコス1世神託実現したことを悟りギリシア人カリア人達に莫大な報酬約束して自軍引き入れた。そして彼らの助け得て下エジプトの他の支配者達を撃破し、これを統一することに成功したギリシア人カリア人達はその後恩賞受け取りナイル川ペルシウム支流の「陣屋」に居住させられたが、後にイアフメス2世英語版)によってメンフィス移され、王の護衛隊とされた。そしてギリシア人達は彼らによって、その後エジプトの歴史を知ることができたのだと言う。 我々ギリシア人がプサンメティコス王以降後代わたってエジプト起こった事件全て詳細に知っているのは、エジプト定住した彼らと我々が交渉を持つに至ったからに他ならない実際エジプト人と言語異にする者でエジプト永住したのは彼らが最初で、彼らが立ち退く以前居住していた地域には船渠住居遺跡が私の時代まで残っていた。

※この「青銅の人間と『歴史』」の解説は、「エジプト第26王朝」の解説の一部です。
「青銅の人間と『歴史』」を含む「エジプト第26王朝」の記事については、「エジプト第26王朝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「青銅の人間と『歴史』」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青銅の人間と『歴史』」の関連用語

青銅の人間と『歴史』のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青銅の人間と『歴史』のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのエジプト第26王朝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS