青コーナー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 05:10 UTC 版)
「荒川仁人 対 オマール・フィゲロア戦」の記事における「青コーナー」の解説
オマール・フィゲロアは、メキシコ人の両親がメキシコから米国に移住した後に、テキサス州のウェスラコで生まれた。6歳でボクシングを始め、7歳から試合に出場。アマチュア時代はメキシコで約200試合、米国で約60試合を経験した。高校卒業の2週間後、2008年6月にプロデビュー。奨学金でテキサスA&M大学に入学し、建設科学を学んでいたが、19歳の時にボクシングの世界王座奪取に集中するために中退。2009年11月にオスカー・デ・ラ・ホーヤ率いるゴールデンボーイ・プロモーションズと契約した。アル・ヘイモンが父親のオマール・フィゲロア・シニアと共同でアドバイザーを務めている。2011年に自動車事故でブランクを作った後、2012年にショウタイムの中継番組『ショウボックス』に初登場。そこでスター候補のマイケル・ペレスにTKO勝ちを収め、ボクシングの楽しさに目覚めた。生後9か月(当時)の娘がおり、フィゲロア・シニアはマネージャー、トレーナーも務めている。 対戦前のプロ戦績は22戦無敗 (17KO) で、16KOは3回までに決着。最後の7勝のうち6勝は2回までに決着していた。直近の試合はサウル・アルバレス対オースティン・トラウト戦のアンダーカード(前座試合)で行われ、アラモドームの39,247人の観衆の前で、ミゲール・コットのはとこであるアブネル・コットとの無敗同士の対戦に初回KO勝利を収めた。荒川の身長は約173センチメートル、リーチは約180センチメートルであったのに対し、フィゲロアの身長は約172センチメートル、リーチは約185センチメートル。基本の右構えから左に自在にスイッチし、強打を最大の武器とする。 フィゲロア・シニアは、日本人とメキシコ人の対戦は伝統的によくかみ合うと考えており、フィゲロアは試合前に、「日本のボクサーはメキシコのボクサーとよく似ていて、誇り高く、強い気持ちで戦う。だから荒川の心が折れることはないだろう。」と語っている。7月21日にサンアントニオに到着した。愛称は「パンテリータ」(スペイン語で「小豹」の意)。23歳。
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