電力国家管理以降の帰属
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 18:32 UTC 版)
上記#電力国家管理による設備出資節で記したように、27か所あった長野電気の発電所のうち平穏第一・平穏第二・平穏第三の3発電所(総出力15,680 kW)は1941年10月1日付、清水沢・西野・高沢第一・高沢第二・杉野沢の5発電所(総出力23,650 kW、すべて旧信濃電気所属)は1942年4月1日付でいずれも日本発送電へと出資された。このうち高沢第一・高沢第二発電所については、日本発送電時代には出力14,850 kWの単一発電所(高沢発電所)として扱われている。これら8発電所以外の19発電所(総出力21,400 kW)はすべて1942年4月1日付で中部配電へと継承された。 太平洋戦争後の1951年(昭和26年)5月1日、電気事業再編成令により日本発送電と配電会社9社は解散し、その再編成により中部電力や東北電力など発送配電一貫経営の電力会社9社が新設された。再編成に際し、旧長野電気発電所のうち中部配電継承の19か所と平穏第一・平穏第二・平穏第三の3発電所は中部電力へと引き継がれた。その一方で、清水沢・西野・高沢・杉野沢の4発電所は日本発送電から東北電力へと移管されている。 中部電力へと引き継がれた旧長野電気の発電所のうち、湯沢発電所は1960年(昭和35年)4月、八那池第二発電所は1968年(昭和43年)3月、芋井発電所は同年12月にそれぞれ廃止されており、現存しない。また東北電力へ渡った清水沢発電所も1969年(昭和44年)10月に廃止済みである。
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