隣接する峠
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周山街道における、前後区間にある峠。 笠峠(京都市右京区) 深見峠(京都市右京区・南丹市) 堀越峠(南丹市・福井県大飯郡おおい町)
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隣接する峠
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前坂 元の「京見峠」 脚注4の太平記に記述された京見峠は現在の嵐山高尾ドライブウェイ中の「菖蒲谷池」と平岡八幡宮を結ぶ元山道に存在する峠を「京見峠」と近世絵図地図資料集成(京師内洛中洛東外地図第一愛宕郡)に記載されている。 また峠から鳴滝方面への坂を「長坂」と記載している。 なお、この峠道自体は昭和の初めごろに現在の162号線周山街道が開通して使用されなくなった。 名所官鳥巻五 峠之部 京見峠 葛野群嵯峨鳴滝の西北に有。これは嵯峨仁和寺の西丹波より出る道なり、京を眼の下に見るゆへの名也。 軍記物語『太平記』には、「京中を足下に見下」ろせる峠という記述がある。延元元年(1336年)、後醍醐天皇方の兵が、室町幕府を開いた足利尊氏らとの洛中合戦にあたり、京都への北の要所として京見峠に陣を張り尊氏を攻めたり、大覚寺宮を大将と奉り三百余騎が長坂で討死した」記録がある。 (原文)延元元年(1336)六月北丹波道へハ大覚寺ノ宮ヲ大将トシテ奉テ額田左馬ノ助ヲ被遣其ノ勢三百徐騎白昼ニ京中ヲ打通テ長坂ニ打上ル云云 京中ヲ足ノ下ニシテ京見峠嵐ノ上高雄栂尾ニ陣ヲトル 天尚10年(1582年)6月2日明智日向守光秀は丹波亀山城から愛宕山参拝して、この旧京見峠を経由して本能寺へ向かった(州府志巻一P六) この道は南は長岡京から松尾大社、梅津、千代の古道を通り、北嵯峨、直指庵、菖蒲谷池、平岡村、高雄、神護寺に至る参拝道であり、また愛宕山を経由して丹波へ通じる道であった。 大正末期に自動車道が整備され、次第に利用されなくなり、現在では峠の位置確認はされていない。ハイキング道の「四ツ井」から東方向に数百メートル行った岡の上と推定される。現在の地名は右京区梅が畑奥殿町と梅ケ畑篝町の接するあたりと推定される。 ここ旧京見峠付近から京都タワー、東寺などが遠望できるが、御所は見えない。
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