隠居制度との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 01:09 UTC 版)
「隠居」も参照 皇位譲渡者が後継君主の後見として実質的な政務を行う政治体制は、日本独自の家督制度に由来している。当主が存命中から隠居して、家督を次代に譲って、家の実権を掌握し続ける、というもので、この制度がいつ頃から始まったかは、かなり古くからとされており、詳しくはわかっていない。日本人の思想に国家ならびに家の概念が固まりつつあった弥生時代に確立された、とする説も存在する。 鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府のそれぞれの征夷大将軍職において、将軍職を退いて大御所となることも、院政の変形と言える。さらに、武家社会の大名家のみならず公家や神官職、さらには一般庶民の家庭においても隠居制度は浸透しており、いわば院政自体が隠居制度の延長線上に存在していた、と見做すことも可能である。 既述の通り明治年間以降は、皇室典範の施行に伴い、天皇が隠退して上皇になることは一旦途絶えた。また、明治以降西洋文化の流入に伴って、家督制度に対する日本人の思考にも変化が表れた影響から、隠居制度は急速に廃れていき、日本国憲法によって法的に家督制度と共に隠居制度は廃止された。
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