陳籙
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陳籙 | |
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『維新政府之現況』(1939年)
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プロフィール | |
出生: | 1877年5月5日 [1][2][注 1] [旧暦]光緒3年丁丑3月22日 |
死去: | 1939年(民国28年)2月19日[1][2]![]() |
出身地: | ![]() |
職業: | 外交官・官僚・政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 陳籙 |
簡体字: | 陈菉 |
拼音: | Chén lù |
ラテン字: | Ch'en Lu |
注音二式: | Chén lù |
和名表記: | ちん ろく |
発音転記: | チェン ルー |
英語名: | Tcheng-loh |
陳 籙(ちん ろく、1877年〈光緖3年〉5月5日 - 1938年〈民国27年〉2月19日)は、清末民初の外交官・官僚・政治家。字は任先[1][2][3]。号は止室[1][2]。北京政府では外モンゴル問題等に対処したことで知られる。晩年は中華民国維新政府に参加した。
事績
清朝での活動
1891年(光緒17年)、船政学堂に入学したが、事件に巻き込まれ除籍処分を受ける。1894年(光緒20年)、鉄路総局附設鉱化学堂で学ぶ。しかし、1898年(光緒24年)に学堂が閉鎖されたことに伴い、武昌自強学堂に転じた。1901年(光緒27年)に卒業し、同学堂に仏文班教習(講師)として留まった[1]。
1903年(光緒29年)4月、陳籙は欧州へ留学する。ドイツでの学習を経てフランスのパリ法律大学に入学した。1907年(光緒33年)に法学士を取得し[1]、帰国後の翌1908年10月15日(旧暦:光緖34年9月21日)、海外留学卒業生として陳は法政科進士を授与された[5][6][注 2]。その後は翰林院編修、外務部主事、第二次ハーグ平和会議参賛、憲政編査館編集を歴任した[4]。
モンゴルでの活動

1912年(民国元年)4月24日、陳籙は北京政府の外務部政務司長に就任する。翌1913年(民国2年)12月31日、メキシコ公使に任命されたが赴任しなかった[7]。1914年(民国3年)1月、陳は畢桂芳と共に、モンゴルのボグド・ハーン政権の事案に関する全権専使に任じられた[1]。また、同年2月23日に上大夫、6月29日には少卿の位をそれぞれ授与されている[7]。
同年9月から陳籙は中国側全権代表として対露蒙のキャフタ会議に参加し[4]、翌1915年(民国4年)6月7日、キャフタ条約に調印した。同月16日、陳籙は都護使として駐紮庫倫(現在のウランバートル)弁事大臣に任命されている[7]。1916年(民国5年)7月、冊封専使に任命され、活仏ジェプツンダンバ・ホトクト8世の冊封大典を取り仕切り、政府を代表して活仏に金冊・金印を授与している[1]。しかし、8月4日には病気により都護使を辞任した[7]。
北京政府後期の活動
1918年(民国7年)3月、陳籙は督弁参戦事務処外事処処長として復帰する[1]。5月4日には外交部次長に就任した。同年11月21日には、パリ講和会議に出席する外交総長陸徴祥の代理として外交総長(部務代理)もつとめている。1920年(民国9年)9月17日、次長職を離れ、駐仏全権公使に任命された。1923年(民国12年)8月16日、国際連盟代表を兼任している[7]。
北京政府崩壊前後の1928年(民国17年)7月に、陳籙は公使の職務を終えて帰国する。以後は上海で弁護士を開業した。1934年(民国23年)、蔣介石国民政府の外交顧問に就任した。1936年(民国25年)には外交部条約委員会副会長もつとめている[1][4]。
親日政権への参加、暗殺
1938年(民国27年)3月28日、梁鴻志が中華民国維新政府を南京で成立させると、同日に陳籙は外交部部長として特任された[8]。翌1939年(民国28年)2月19日、陳籙は上海の私邸において、中国国民党軍事委員会調査統計局(軍統)の工作員に襲撃、射殺された。享年63(満61歳)[1][2][注 3]。
著作
- (翻訳)『法国歴代司法院之組織』(1905年)
- 『止室筆記』(商務印書館、1917年)
- (筆訳)黄成垿口述『蒙古逸史』(出版社不明、1917年)
- 『蒙古随筆』(再版。上海商務印書館、1934年)
- 『止室 (任先) 先生年譜・詩存 影印』(文海出版社、1995年)
注釈
出典
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。 ISBN 7-101-01320-1。
- 外務省情報部編『現代中華民国満洲国人名鑑 昭和12年版』東亜同文会業務部、1937年。
- 藤田正典編『現代中国人物別称総覧』汲古書院、1986年。 ISBN 9784762910463。
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