阪神側の事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 15:35 UTC 版)
「尼崎市小田南公園軟式野球場」の記事における「阪神側の事情」の解説
阪神電気鉄道(阪神電鉄)は、国道線・甲子園線(路面電車)の車庫として使用していた尼崎市内の私有地に阪神浜田球場を建設したうえで、1979年から1994年まで二軍の本拠地として使用していた。同市に隣接する西宮市内の阪神甲子園球場(一軍の本拠地)南側に阪神鳴尾浜球場が完成したことに伴って、1995年から二軍の本拠地を鳴尾浜球場へ移転。球団の選手寮である「虎風荘」も、甲子園球場の東隣から鳴尾浜球場の隣接地へ移した。もっとも、近年は球場や練習施設の老朽化が進んでいるにもかかわらず、立地面での制約から施設の拡張が難しい状況にある。 「阪神鳴尾浜球場#歴史」も参照 さらに、タイガースの看板選手だった掛布雅之が二軍監督として球団に復帰した2015年からは、二軍が鳴尾浜球場で主管試合(ウエスタン・リーグ公式戦)を開催するたびにファンが殺到。同球場では観客席をネット裏に500席しか常設していないことから、入場制限を課すことや、通常は使用していない外野の場外を立ち見用に開放することも相次いだ。このような事態を受けて、タイガースでは2016年頃から二軍本拠地の再移転を検討。一時は、オリックスバファローズがブルーウェーブ時代に本拠地として使用していた神戸総合運動公園野球場(現在の「ほっともっとフィールド神戸」)や、オリックス二軍の本拠地であった神戸総合運動公園サブ球場(神戸第二球場)などが移転先の候補に挙げられていた。
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