関東馬の「栗東留学」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 11:01 UTC 版)
「美浦トレーニングセンター」の記事における「関東馬の「栗東留学」」の解説
「栗東留学」とは「京都・阪神の競走への出走のための事前調整」という理由を用いて、管理馬を実際のレースよりも数週間前から栗東トレセンに輸送・滞在させ、一定期間栗東トレセンの坂路などの施設で鍛錬を積ませる強化育成の手法である。2000年代以降、スポーツ新聞等で「栗東留学」という言葉が用いられている。 初期の例として、2002年、国枝栄がソルティビッドを阪神ジュベナイルフィリーズへの出走を利用して、栗東トレセンに事前入厩させたことが挙げられる。その後も栗東へ事前入厩した関東馬が好走・勝利する状況が散見される様になり、要因として「栗東トレセンでのトレーニングの効果」を指摘するというパターンが見られる様になったことで、「栗東留学」などの表現が定着していった。 2007年のNHKマイルカップを優勝した関東馬ピンクカメオの勝因について、国枝栄厩舍陣営は「前走の桜花賞の前に栗東トレセンに滞在して栗東の施設で調教が行えたこと」を最大の要因として挙げており、2008年の秋華賞で1着3着を占めて大波乱を巻き起こした小島茂之厩舎陣営も、全く同様にレース前に馬を栗東トレセンに送り込んで調教を積めたことを勝因に挙げている。 2009年においても、関東馬のGI優勝は年間4頭であるが、その内の3頭がレース前から事前に栗東トレセンに滞在し、その坂路でトレーニングを行うという調整課程を経ての勝利であった。 2010年には国枝栄厩舎所属のアパパネが関東馬として桜花賞を4年ぶりに制したが、国枝の「関西馬に勝つためには関西馬になり切ればいい」という育成方針から、関西圏での出走の度に栗東への事前入厩と数週間の滞在を繰り返しており、栗東留学の先駆者である国枝が作り出した栗東留学の申し子とも言える。 重賞競走に出走するような有力馬以外でも「京都・阪神での出走」を名目に馬を栗東に一定期間滞在させてトレーニングを積ませる厩舍も現れており、美浦所属の厩舎群の低迷からの脱出の鍵として「いかに栗東の坂路を利用して関東馬を鍛えるか」が話題・トピックになるという、もはや美浦トレセンの存在意義にも関わる一面すら窺える現状になった。しかし、「栗東留学」を実践している調教師に対しては「美浦トレセンの価値を自ら貶めている」という冷ややかな見方も存在する。 「栗東留学」の逆に当たる「美浦留学」という言葉が全くないわけではなく、森秀行のように馬に良かれと判断すれば所属馬を積極的に美浦に滞在させる調教師も一部に存在するが、「栗東留学」に比べればごく少数である。 美浦の調教施設の設備全般について、栗東と比較して劣っていると感じる美浦の厩舎関係者は多く、国枝栄は「美浦トレセンの坂路の質を栗東トレセンと同等の水準のものに引き上げるべき」と主張していた。 なお、関東馬を栗東に滞在させるという事自体は、古くは1970年に桜花賞馬のタマミがクイーンカップに勝利した後から桜花賞終了まで栗東に滞在した例がある。この時、厩務員の蛯名幸作もタマミの状態を見るために一緒に滞在していた。
※この「関東馬の「栗東留学」」の解説は、「美浦トレーニングセンター」の解説の一部です。
「関東馬の「栗東留学」」を含む「美浦トレーニングセンター」の記事については、「美浦トレーニングセンター」の概要を参照ください。
- 関東馬の「栗東留学」のページへのリンク