開鉱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 21:27 UTC 版)
筑豊炭田の三菱合資会社、後の三菱鉱業(現在の三菱マテリアル)は、1896年(明治29年)に炭層調査を開始し、1902年(明治35年)当時辺鄙な農村地帯であった田川郡方城村で縦坑建設に着手。三菱方城炭鉱は、1908年(明治41年)第二坑を完工し同社主力鉱として開鉱した。1910年(明治43年)第一坑が完成。当時最新式の直下型縦坑方式を採用し、昇降機で縦坑を深さ270メートルまで降りたあと、横向きの坑道に入る構造であった。炭鉱は1908年(明治41年)に12万トン、5年後の1913年(大正2年)には26万トンを出炭し、急激に躍進をとげてゆく。鉱山には赤レンガの煙突や昇降機用の21メートルの巨大な鉄塔がそびえたち、炭都筑豊の新しい名所となった。のどかだった方城村も様相を変え、労働者と家族が暮らす炭鉱長屋が立ち並び、最寄りの金田駅前には盛り場や映画館もでき、好景気に沸く炭鉱町となった。
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