開鐘(ケージョー、ケージョウ)とは
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「三線」の記事における「開鐘(ケージョー、ケージョウ)とは」の解説
棹がやや細く、短く、皮が緩めに張られた型。弦は絹糸を使う。太い低音が響くため、琉球王朝時に城門を開ける合図の鐘の音に似ていたことからこう呼ばれた。後述のように「盛嶋開鐘」が現存しているほか、2000年代に復刻された。 開鐘の名の由来となった、明け方に突かれる鐘の音は「開静鐘」と呼ばれた。開鐘と称されている名器の全ては真壁型である。尚家に伝わる三線の中でも非常に良い品とされていた三線は俗に「五開鐘」や「十開鐘」と呼ばれていたが、それがどの三線だったのかは文献によって諸説有る。他に開鐘に準ずる三線として十数挺あり、戦後はこれらの準開鐘も含めて開鐘と呼んでいる。五開鐘のなかでも最高峰と言われていた盛島(盛嶋)開鐘は第二次世界大戦により焼失したと伝えられていたが、戦後、尚家の元へ戻り、1982年に尚裕より沖縄県立博物館に寄贈された。現在は沖縄県立博物館・美術館にて収容、展示されている。ちなみに、沖縄県立博物館・美術館では盛島開鐘の心の部分に「盛嶋開鐘」という記載がされているため「盛島」ではなく「盛嶋」という表記を使用している。ただし、戦後、長いあいだ行方不明だった点を考慮すると、後から作為的に手を加えられた可能性や、その真偽について今なお憶測が絶えない。開鐘には属しないが、護佐丸が愛用した三線と言われている泊綾爪や続面、勝連虎毛、鴨口与那城、江戸与那城は三線の名器として知られている。 1916年4月17日、琉球新報社の記事より 盛島(ムリシマ)開鐘、西平(ニシンダ)開鐘、湧川(ワクガー)開鐘、熱田(アッタ)開鐘、翁長(ヲゥナガ)開鐘 山内盛彬「琉球の音楽芸能史」と冨原守清「琉球音楽考」より 盛島開鐘、西平開鐘、湧川開鐘、城(グスク)開鐘、安真太平(アマダンジャ/アマダンチャ)開鐘 「沖縄大百科事典」の開鐘の項目(又吉真三)より 盛島開鐘、西平開鐘、湧川開鐘、城開鐘、安真太平開鐘(西平、湧川の代わりに久田と大宜味を入れる場合もある) 準開鐘に属するもの 友寄(トゥムシ)、豊平(トヨヒラ)、屋良部崎(ヤラブザキ)、前田、翁長、熱田、屋冨祖、城間(グスクマ)、松田、富盛(トゥムイ)、安室(アムロ)、志多伯(シタハク)
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