三井美唄炭鉱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 09:42 UTC 版)
会社としては中小の炭鉱を買収する形で1928年に発足した。美唄駅から専用鉄道(のちの函館本線南美唄支線)を敷設し石炭輸送を行っていた。 一方、1910年に開鉱した徳田鉱山は、1941年に炭量枯渇したが、三井美唄炭鉱との一体的な開発が期待され三井鉱山が取得した(三井新美唄炭鉱)。1951年の鉱業所再編により三井美唄炭鉱第二鉱になった。 三井美唄炭鉱は1963年閉山。規模は大きかったものの同じ市内に位置した三菱美唄炭鉱と比べて採炭量は劣り、石炭産業の集約化を進める中で行われたスクラップアンドビルド(ビルド鉱)の対象にはなり得ず、早期に閉山を余儀なくされた。 三菱の常盤台よりも市街地に近い(国道12号の近隣)ことから、多くの炭鉱住宅などの施設が残る。
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