開発チーム時代とは? わかりやすく解説

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開発チーム時代(1990年 - 2000年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:37 UTC 版)

ソニックチーム」の記事における「開発チーム時代(1990年 - 2000年)」の解説

ソニックチームという名前が最初に世の中現れたのは、1991年メガドライブ用ソフト『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』である。同作ではソフト起動時に「SONIC TEAM PRESENTS」と表示される。この当時ソニックチームとは、セガ・エンタープライゼス当時)第8AM研究開発部通称AM8研)内部の『ソニック・ザ・ヘッジホッグ開発担当チーム指していた。 同作開発後、1991年に、中裕司は『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の発売待たず薄給引き抜き防止策として行われていたスタッフロールに名前を載せない方針嫌気差して一度セガ退職したものの、安原弘和1992年に一旦ソニックチーム退社しアメリカ合衆国スタジオ(セガテクニカルインスティチュート)でメガドライブ用ソフト『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ3』、『ソニック&ナックルズ』、『ソニック3Dブラスト』を、大島直人ソニック1一部スタッフと共にセガCS3チーム」を編成し日本スタジオでメガCD用ソフト『ソニック・ザ・ヘッジホッグCD』、スーパー32X用ソフト『カオティクス』を製作したが、これらの作品には「ソニックチーム」という名称は使用されていない。再びソニックチームの名前が現れるのは、久々に中と大島のコンビ復活した1996年セガサターン用ソフト『NiGHTS into Dreams...』である。1997年当時インタビューで中は「ソニックチームの名前がついている作品ソニック1ナイツ、そしてクリスマスナイツ3本だけなんです理由は簡単。これ以外の作品には大島参加してませんでしたから」(Sega Magazine 1997年1月号より引用)と述べており、当初ソニックチームの定義において2人存在が重要であったことが伺えるが、次第ソニックチームブランド名幅広く使用されるようになっていく。 ソニックチームその後、『バーニングレンジャー』(セガサターン1998年)、『ソニックアドベンチャー』(ドリームキャスト1998年)、『サンバDEアミーゴシリーズアーケードドリームキャスト19992000年)、『チューチューロケット!』(ドリームキャスト1999年)などを発表した1999年にはアメリカに新スタジオソニックチームUSA」が設立された。

※この「開発チーム時代(1990年 - 2000年)」の解説は、「ソニックチーム」の解説の一部です。
「開発チーム時代(1990年 - 2000年)」を含む「ソニックチーム」の記事については、「ソニックチーム」の概要を参照ください。

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