開発チーム時代(1990年 - 2000年)
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「ソニックチーム」の記事における「開発チーム時代(1990年 - 2000年)」の解説
ソニックチームという名前が最初に世の中に現れたのは、1991年のメガドライブ用ソフト『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』である。同作ではソフト起動時に「SONIC TEAM PRESENTS」と表示される。この当時のソニックチームとは、セガ・エンタープライゼス(当時)第8AM研究開発部(通称AM8研)内部の『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』開発担当チームを指していた。 同作開発後、1991年に、中裕司は『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の発売を待たずに薄給と引き抜き防止策として行われていたスタッフロールに名前を載せない方針に嫌気が差して一度セガを退職したものの、安原弘和は1992年に一旦ソニックチームを退社し、アメリカ合衆国のスタジオ(セガテクニカルインスティチュート)でメガドライブ用ソフト『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ3』、『ソニック&ナックルズ』、『ソニック3Dブラスト』を、大島直人はソニック1の一部のスタッフと共に「セガCS3チーム」を編成し日本のスタジオでメガCD用ソフト『ソニック・ザ・ヘッジホッグCD』、スーパー32X用ソフト『カオティクス』を製作したが、これらの作品には「ソニックチーム」という名称は使用されていない。再びソニックチームの名前が現れるのは、久々に中と大島のコンビが復活した1996年のセガサターン用ソフト『NiGHTS into Dreams...』である。1997年当時のインタビューで中は「ソニックチームの名前がついている作品はソニック1とナイツ、そしてクリスマスナイツの3本だけなんです。理由は簡単。これ以外の作品には大島が参加していませんでしたから」(Sega Magazine 1997年1月号より引用)と述べており、当初のソニックチームの定義において2人の存在が重要であったことが伺えるが、次第にソニックチームのブランド名も幅広く使用されるようになっていく。 ソニックチームはその後、『バーニングレンジャー』(セガサターン、1998年)、『ソニックアドベンチャー』(ドリームキャスト、1998年)、『サンバDEアミーゴ』シリーズ(アーケード、ドリームキャスト、1999〜2000年)、『チューチューロケット!』(ドリームキャスト、1999年)などを発表した。1999年にはアメリカに新スタジオ「ソニックチームUSA」が設立された。
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