開校と相次ぐ拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/27 03:32 UTC 版)
「京都市立立誠小学校」の記事における「開校と相次ぐ拡張」の解説
1869年、河原町三条下ル大黒町(現・中京区大黒町)に下京第六番組小学校として開校。かつてオランダ屋敷だった私塾を使用した番組小学校である。第六番組小学校の西側には寺町通が通り、江戸時代には芝居小屋が並んでいた京都有数の繁華街だった。明治初期には近隣の寺院が京都府に対して土地を提供し、寺町通と並行する新京極通が開通。1872年には下京第六区小学校と改称し、1874年には三条通と河原町通の中間にあることから三川学校と改称。三川小学校は1877年に拡張工事を行い、第11代京都府知事槇村正直が立誠校と命名した。『論語』の一節にある「立誠而居敬」から命名したとされ、「人に対して親切にして欺かないこと」を意味する。二層の防火楼が建設されたのはこの時期だとされ、明治時代から運動会が行われていたとされる。 1885年にも一棟を増築し、1903年には隣接する私有地を買収して校地拡張と校舎改築を行った。正門は河原町通に面しており、講堂、雨天体操場、教室棟などの施設があった。旧校地時代の運動場はとても狭く、土地にゆとりのあった高瀬川河畔への移転が計画されたが、移転計画は京都市に認可されなかった。
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