長野工業専門学校時代
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「長野工業専門学校 (旧制)」の記事における「長野工業専門学校時代」の解説
1944年4月1日: 長野工業専門学校と改称。設置学科: 機械科・航空機科・電気科・電気通信科。 同日、長野県工業試験場の土地・建物が移管され、長野工専校舎となった。 1945年9月: 第1回卒業 (1943年入学者)。 1945年12月20日: GHQ/SCAP命令で航空機科廃止 (文部省令第22号)。航空機科在学者は機械科に編入。 1946年2月: 第1校舎 (1945年3月新築)、焼失。 1946年3月: 文部省より新入生募集延期が通知され、廃校の危機に。 1946年4月: 第二機械科 (内部措置で、実質的には土木科)、機械科精密機械分科を設置。第二機械科には旧航空機科在学者を収容。 同月、工専存続デモ、工専廃止反対県民大会開催。 1946年5月: 新入生募集延期が解除される。 1946年10月: 第2校舎竣工。 1946年12月: 同窓会設立。 1947年2月: 附属機関として民生科学研究所を設立。 1947年4月: 大学昇格運動開始。 1948年3月: 第二機械科廃止。 1948年4月: 第1回長野県高専校長会議開催。信州大学設置委員会設立。文部省方針により、県内高専合同での総合大学設立案に転換。 1948年7月: 土木科を増設。同月、文部省に信州大学設置認可を申請。 1949年5月31日: 新制信州大学発足。旧制長野工専は、工学部 (機械工学科・電気工学科・通信工学科・土木工学科) の母体として包括された。 1951年3月: 旧制長野工業専門学校、廃止。
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