長野大会民放テレビ中継の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 08:47 UTC 版)
「燃えろ青春!つかめ甲子園」の記事における「長野大会民放テレビ中継の歴史」の解説
全国中等学校優勝野球大会→全国高等学校野球選手権大会を主催する朝日新聞社が、地元紙の信濃毎日新聞社との出資で設立した信越放送によって、1963年の第45回記念大会からテレビ中継を始めた。しかし、信越放送はニュースネットワーク以外はフリーネットというのがネックとなり、中継は準決勝・決勝のみに留まった。準々決勝以前を初めて中継したのは長野放送で、1981年の第63回大会から3回戦以降の中継をスタートさせている。 その後、テレビ信州も準決勝・決勝に限り中継をするようになり、1985年 - 1990年にかけては準々決勝までは長野放送のみ、準決勝以降は在長民放3社が中継していたという状況だった。しかし、1989年に朝日新聞社全額出資の民放として長野朝日放送が設立。1990年の第72回大会を最後にテレビ中継は長野朝日放送(ただし、信越放送はラジオで継続)に一本化されることとなり、翌1991年の第73回大会から現在の形に移行している。
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