鎖でつながれた本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:43 UTC 版)
詳細は「鎖付図書」を参照 図書館や修道院など、多数の本を持っていた施設・機関では、貴重品である本を盗難から防止するための仕組みと、一箇所に重ねて保管することによる本の擦傷劣化を防止するための仕組みを考える必要があり、その次善策として本を書見台にチェーンでつなぐ習慣が広まった。こうした習慣は多くの図書館や修道院で17世紀末ごろまで継続していた。しかしながら蔵書が増えるに従って、本と書見台を設置するための場所の確保が大きな問題となり、スペースあたりの収納力増大と書見台上で調べものを行うための作業場所確保を目的として書見台の上下に棚が取り付けられるようになった。この変化についてヘンリー・ペトロスキーは現代の本棚につながる進化の第一段階であると述べている。しかし、読書や作業の度に本を上下の棚へ動かすことによって鎖がねじれ、絡まるという新たな問題が発生するようになった。書籍管理の歴史について調査研究を行っていたジョン・ウィリス・クラークは、17世紀ごろからこうした問題を解決するために、ストール・システムと呼ばれる二つの書見台を向き合わせ、その間に書棚を配置するという設計をした調度品が登場したと述べている。キャノン・ストリータはクラークの説に異論を唱え、ストール・システムは書見台とアルマリウムの組み合わせに過ぎず、16世紀には既に見られた形態であったと述べている。登場当初は棚へ平積みされていたが、本の増加に伴い運用が困難になると置き方が縦置きへと変化するようになった。両端に垂直の仕切り、上下に水平棚を持ったストール・システムの登場、本の縦置きが一般化するに従い、収納方式が現代の本棚に近しい形態へと進歩した。なお、この頃の本には全て鎖が付いていたため、これによって本を傷付けないよう背を奥にして収納しており、鎖をつけない個人蔵書においても一般化したと見られている。こうした本を縦置きに並べる方式が一般化するに伴い、それを収納する棚はブック・プレスと呼ばれるようになった。書見台の下のスペースに棚が取り付けられることもあったが、当初は足置き程度の利用しかなされていなかった。しかし、印刷本の普及と蔵書数の増加に伴い、図書館はこのデッドスペースに利用の少ない本を詰めたチェストを保管しはじめ、やがてチェストから出して鎖のついていない本を並べるようになると、机下のスペースも書見台上の棚と代わらない役割を果たすようになった。1620年台にケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジが建設されたときに、窓際に書見台を持たない低めのブック・プレスが設置された。同時に移動が可能な台座が整備され、その上に立って高いところの本を探したり、腰掛けて本を読むことが可能になっていた。台座の登場により、人の手の届かない高所も本を収納するためのスペースとして有効活用されるようになった。印刷技術の発達により、本の入手が容易になったことで相対的に本の価値は下がり、鎖でつなぎ止める意義も薄れていった。これに伴い、机と書棚を組み合わせておく必要もなくなってきたことから本棚は次第に現代の形へと変化していった。
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