鉛の時代
鉛の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:14 UTC 版)
詳細は「鉛の時代(イタリア語版、英語版)」および「グラディオ作戦」を参照 1970年代後半から1980年代初頭は、政治的に非常に不安定な状態に陥り、「鉛の時代(イタリア語版、英語版)」(イタリア語: Anni di piombo、英語: Years of Lead)として知られている。 1978年にはキリスト教民主主義の党首であるアルド・モーロ元首相がマリオ・モレッティ(イタリア語版、英語版)に率いられた極左テロ組織の第二次赤い旅団によって殺害される。これにより、歴史的妥協から生まれたキリスト教民主党と貴族階級出身のエンリコ・ベルリンゲル率いる共産党との連立政権は崩壊する。なお、モーロ暗殺事件にも、ジュリオ・アンドレオッティが関わっていたことが後に明らかになっている。広範な社会的対立や「ボローニャ中央駅爆弾テロ事件」(1980年8月2日)などの一般市民をも巻き込んだテロ事件などが左派と右派の急進的政治集団によって引き起こされた。しかしこの様なテロのいくつかは、ジュリオ・アンドレオッティやアミントレ・ファンファーニなどのキリスト教民主主義の実力者や、情報・軍事保安庁のピエトロ・ムスメキ(イタリア語版、英語版)将軍などの軍関係者が関わっていた、もしくは裏で指揮していたことが明らかになっている。 さらに1981年に明らかになった「P2事件」においては、多くの政治家や軍関係者、実業家やマフィア関係者が、極右政党の党首でアンドレオッティやマフィアとの関係が深いリーチオ・ジェッリが代表を務める秘密結社「ロッジP2」に属していたことが明らかになり、国際的なスキャンダルになった。さらに、「ロッジP2」のメンバーで、宗教事業協会(バチカン銀行)の主力行であるアンブロシアーノ銀行の頭取でもあるロベルト・カルヴィが暗殺され同じく国際スキャンダルになるなど、こうした不安定な政情は1980年代初頭に収束するまで続いた。 「鉛の時代」の終わるにつれ、共産党は着実に議席を伸ばしていき、1980年代には共和主義勢力と社会主義勢力により、初の非キリスト教民主党政権が樹立される。一方で社会党はソビエト連邦およびイタリア共産党に対する批判を強め、レーガン政権によるイタリアへのミサイル配備を支持するなど、意見対立も散見された。
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