釜石市との関係
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「東京荒川少年少女合唱隊」の記事における「釜石市との関係」の解説
荒川区と岩手県釜石市は「友好交流都市」となっている。夕刻になると、荒川区の町全体に流れる曲がある。荒川区民の歌「あらかわ 〜そして未来へ」(作詞:高野政義、作曲:弦哲也)である。この曲は、1982年に区政施行50周年を迎えた荒川区が、区の誕生半世紀を記念する行事として、区民みんなが楽しめる歌というコンセプトの下「区民の歌」として作られた。作曲は荒川区にゆかりのある弦哲也(げんてつや)に依頼。作詞は公募だった。弦を含む審査委員17人による選考によって歌詞が選ばれた。その17人の選考委員の一人が渡邊顕麿であった。 選考時、「夢を追う人が住み、温かい心がかよう」という高野の歌詞が「平凡すぎる」と一人の著名な委員が異を唱えた。それに対し渡邊は「私は平凡だとは思いません。私はこの荒川で多くの人にお会いして、今ここで目を閉じれば、夢を追ってる人、心のとても温かい人、そういう大勢の人の顔を思い浮かべることができる。平凡ではなく、荒川区にふさわしい良い詩です。」と言った。この渡邊の一言で高野政義の詞に決まった。 後に渡邊の手により、故郷である岩手県釜石市で歌詞を少し変え、釜石市の愛唱歌『この町そして未来へ』として現在も市民に親しまれ歌われており、釜石市内には歌詞の石碑まで存在する。これらの事が縁となり、荒川区と釜石市の友好交流が始まり、渡邊が釜石で創立した合唱団とも交流がある。 荒川区では2011年の東日本大震災直後に給水車を派遣し、様々な形で支援活動を継続しており、その一環として2012年3月に「あらかわキャラバン事業 〜東日本大震災復興応援」として、東京荒川少年少女合唱隊による釜石市での復興応援コンサートが実現した。今回の釜石復興応援コンサートの中で、「あらかわ 〜そして未来へ」と「この町そして未来へ」の歌詞を合わせた曲を会場の観客と一緒に歌い深い感動を呼んだ。この模様は、荒川ケーブルテレビの特集番組内で放送された。 2012年1月 - 4月、荒川区社会福祉協議会の主催により、釜石市民の文化・スポーツ活動の復興を応援する「釜石市民元気応援プロジェクト」が行われた。最終的には26,000人以上の人から支持され、1,600万円以上の募金が集まった。
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