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重岡信治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 16:22 UTC 版)

重岡 信治郎
生誕 1879年5月10日
死没 (1971-01-16) 1971年1月16日(91歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1902 - 1932
最終階級 海軍中将
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重岡 信治郎(しげおか のぶじろう 1879年明治12年)5月10日 - 1971年昭和46年)1月16日)は、日本の海軍軍人井出謙治らに続き、潜水艦の拡充に尽力した[1]海軍中将である。 なお"重岡信次郎"とする資料もある。

略歴

愛媛県出身。松山中学から1898年(明治31年)海軍兵学校29期として入校。留年し1902年(明治35年)30期として卒業した。兵学校の卒業成績が昇進に大きく影響した海軍で、席次が187名中156番の重岡は中将まで昇進した[2]

尉官時代は「磐手」、「比叡」、「厳島」、「韓崎丸」乗組等を経て第一潜水艇隊付、同艇長心得、同艇長、第二潜水艇隊艇長と実務経験を重ね、以後もほぼ一貫して潜水艦畑を歩む。

佐官時代は仏国出張を経て潜水艇の艤装委員を務めたほか、第四潜水戦隊参謀、潜水学校教頭となる。大佐昇進後練習艦隊所属の「出雲艦長となり、同期の「八雲」艦長・鹿江三郎大佐とともに練習航海[3]の成功に貢献した。「由良」艦長の後、潜水学校校長を務め少将に昇進。第二潜水戦隊司令官、軍令部出仕を経て艦政本部第五部長、再度の潜水学校校長を務め1931年(昭和6年)12月1日中将に進み、1932年(昭和7年)3月31日予備役編入となった。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

親族

女婿の馬野光(海兵52期)は、美幌海軍航空隊飛行隊長在任中に殉職した[5]

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ 『昭和海軍秘史』p26野村直邦の談話。
  2. ^ 29期からの留年組で将官まで昇進した人物は、他にも巨勢泰八少将がいる。
  3. ^ 練習艦隊司令官は百武源吾の兄百武三郎中将(後大将)。
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」69頁。
  5. ^ 『海軍くろしお物語』pp.91-92
  6. ^ 『官報』第6212号「叙任及辞令」1904年3月19日。
  7. ^ 『官報』第6494号「叙任及辞令」1905年2月25日。
  8. ^ 『官報』第3729号「叙任及辞令」1907年12月2日。
  9. ^ 『官報』第159号「叙任及辞令」1913年2月12日。
  10. ^ 『官報』第1647号「叙任及辞令」1918年1月31日。
  11. ^ 『官報』第2839号「叙任及辞令」1922年1月21日。
  12. ^ 『官報』第14号「叙任及辞令」1927年1月17日。
  13. ^ 『官報』第1496号「叙任及辞令」1931年12月23日
  14. ^ 『官報』第1521号「叙任及辞令」1932年1月28日
  15. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。p9下段
  16. ^ 『官報』第8679号「叙任及辞令」1912年5月27日。
  17. ^ 『官報』第1745号「叙任及辞令」1918年5月29日。
  18. ^ 『官報』第2637号・付録「叙任及辞令」1921年5月18日。p4
  19. ^ 『官報』第1233号「叙任及辞令」1931年2月10日。
  20. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』(第9巻) 第一法規出版
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4-8295-0003-4 
  • 中村菊男 編『昭和海軍秘史』番町書房、1969年。 
  • 秦郁彦編著 『日本陸海軍総合事典』東京大学出版会
  • 福川秀樹『日本陸海軍将官辞典』芙蓉書房出版
  • 福地周夫『海軍くろしお物語』光人社、1983年。 ISBN 4-7698-0166-1 
  • 明治百年史叢書第74巻『海軍兵学校沿革』原書房



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