重富計二
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 05:42 UTC 版)
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名前 | ||||||
カタカナ | シゲトミ ケイジ | |||||
ラテン文字 | SHIGETOMI Keiji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1979年6月10日(42歳) | |||||
出身地 | 島根県 | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
1999-2006 |
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2003-2006 |
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2005-2006 |
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2006-2013 |
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2014-2017 |
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2018 |
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2019-2021 |
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■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
重富 計二(しげとみ けいじ、1979年6月10日 - )は、島根県出身のサッカー指導者。
指導歴
幼少期は野球少年であったものの、中学生の時にJリーグが開幕し、高校からサッカー部に加入した[1]。卒業後は広島県でアシスタントコーチのアルバイトを務め、 1999年に20歳で鴎州サッカークラブのコーチに就任。2003年から2006年にかけては広島県トレセンのU-12、U-15のコーチも務め、この時の教え子の田中脩史は後にアルビレックス新潟シンガポールで再会する事となった[1]。また、2005年に比治山大学のサッカー部の監督に就任した。
2006年からサンフレッチェ広島F.Cの育成組織でコーチを務め、この時に教えた岡﨑和也もアルビレックス新潟シンガポールで再会する事となった。
2013年、オーストラリアから日本に帰国する際のトランジットでシンガポールに立ち寄る事となり、アルビレックス新潟シンガポールの存在を思い出して是永大輔社長にメールを送った事が切っ掛けでアルビレックス新潟シンガポールのトップチーム練習を見学[1]。翌年からスクールマネージャーとして同クラブに在籍した。
2018年にトップチームのコーチに就任。監督は吉永一明。2016年から2017年にかけて四冠を記録していたアルビレックス新潟シンガポールにはチームの半分をU-21、残り半分をU-23で編成しなければならないという規定が2018年から設けられたが[2]、コーチとして務めた2018年は三冠を記録した。
2019年にトップチームの監督に就任。規定は更に変わって23歳以上のシンガポール人が最大1人まで、23歳以下のシンガポール人は無制限で雇用出来るようになったものの、スターティングメンバーのうち2人はシンガポール人でなければならない規定がさらに加えられた[3]。同年は無冠に終わったものの、翌2020年シーズンは新型コロナウイルスの世界的流行に伴ってリーグ戦が延期の末に14試合に削減された中で優勝。2021年シーズンは首位を走っていたものの最終節で引き分けて2位となり、ライオン・シティ・セーラーズFCに逆転優勝を許す結果となった。シーズン終了後の10月26日に監督退任が決定。クラブには引き続き留まることが発表されている[4]。
参考文献
- ^ a b c “インタビュー|是永社長との縁でシンガポールに アルビレックス新指揮官が目指すものとは 重富計二監督”. targma (2019年1月27日). 2021年1月8日閲覧。
- ^ ““強すぎる”新潟シンガポールに厳しい規定変更…メンバー大幅入れ替え、大学生ら大量入団”. ゲキサカ (2019年1月9日). 2021年1月8日閲覧。
- ^ “Albirex new signing rules”. 2019年1月9日閲覧。
- ^ “重富計二監督 退任のお知らせ” (プレスリリース), アルビレックス新潟シンガポール, (2021年10月26日) 2021年10月26日閲覧。
外部リンク
- 重富計二 - Soccerway
- Keiji Shigetomi - transfermarkt
- 重富計二 - Facebook
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