釈氏の創始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 16:40 UTC 版)
今日でも、日本も含めて漢字文化圏の仏教教団では、出家した者は受戒の師によって戒名(法名)を付けてもらう決まりとなっている。この時、在家の姓を捨てて、出家者はすべて釈氏を名乗る。 この、出家者は釈氏と名乗るという制度を始めたのが、釈道安である。道安以前の中国の仏教界では、その中国伝来の当初から、受戒の師の姓を受け継ぐのが慣習となっていた。インド・西域からの渡来僧は、その出身地を姓として名乗ることが通例であったので、中国人の出家が許可された後、新たな出家者は、師の姓に従って、竺(インド)・安(パルティア)・康(サマルカンド)・支(大月氏)などの姓を名乗った。支遁や竺道生らがその代表である。 それに対して道安の場合、仏図澄の弟子であれば、同門の竺僧朗のように、竺姓を名乗ることになったはずである。しかし道安は竺姓を名乗らず、釈氏を名乗った。彼は「大師の本は釈迦より尊きなし」と述べたという。これは、釈迦の教えである仏教の信者であることを端的に表すとともに、意識的にも、直接の師僧の弟子としての自覚よりも、仏弟子としての自覚をより重視すべきことを標榜したものであった。 そして、次第に道安の意見は中国仏教界において支持されるようになり、やがて全ての出家者は、釈氏を名乗るようになったのである。 本記事でもその意義を認め、単に道安のみではなく釈道安として項を立てている。また、後の時代に道安という同名の僧がいるため、混同を避けるために釈道安と呼ばれることが多いことにもよる。
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