鄭人澤とは? わかりやすく解説

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鄭人沢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 04:44 UTC 版)

鄭 人沢(チョン・インテク、정인택1909年9月12日 - 1952年8月4日)は、日本統治時代の朝鮮において活動し、後に朝鮮民主主義人民共和国越北した小説家日本統治時代の朝鮮において、モダニズム文学から出発して、後に親日作家として糾弾されることになる作品群を残し、朝鮮語だけでなく日本語でも作品を発表した[1]

生涯

義親王李堈の亡命を図った大同団朝鮮語版事件に巻き込まれた言論人である鄭雲復朝鮮語版の息子。漢城府で生まれ、平安北道義州で幼少期を送った。

京城府の京城第一高等普通学校(경성제일고등보통학교:後の京畿高等学校の前身)を卒業して、京城帝国大学予科へ進むが、中退して、東京に遊学する[2]。東京に滞在していた1930年代から短編小説などを発表し始めた[3]

その後、京城府に戻り、詩人小説家李箱が経営していた茶房に出入りし、そこで様々な作家たちと交流した[2]

日本統治時代の朝鮮において『毎日新報』や、雑誌『文章(문장)』の記者を務めながら、私小説心理小説を中心に、およそ40編余りの作品を発表した。本格的な小説作品として最初に発表されたものは、『촉루(髑髏)』(1936年)であり、作家の自意識が反映された知識人青年が主人公である『髑髏』は、『迷路⸺어느年代의記錄(迷路⸺ある年代の記録)』(1939年)と『여수(旅愁)』(1941年)の連作につながり、鄭人沢の代表作となった。雑誌『文章』の編集に関わり始めた1939年以降は、多数の短編小説を同誌に発表した[3]金南天は、当時、1940年に発表した評論[4]の中で、鄭人沢の作風について、崔明翊朝鮮語版許俊朝鮮語版とともに「心理と意識の描写」を中心とする「心理世界への転換」を表したもの、また「小説の古典的法則を意識的に破壊しようとする」ものであると評したが[5][6]、これは、鄭人沢が1930年代モダニズム文学の流れにあったことを意味していた[7]

太平洋戦争の時期に朝鮮文人報国会に参加するなど、親日行為があった。当時、大日本帝国の国策に沿った「御用文学」は、「国民文学」と称されたが、鄭人沢は、その代表的な作家となった[8][9]。この頃、満洲国への視察旅行を経て、朝鮮人開拓移民を背景に書いた『검은 흙과 흰 얼굴(黒い土と白い顔)』(1942年)は、典型的な親日作品に挙げられる[10]。また、日本語でも多数の作品を残しており、表題作「清涼里界隈」や「かへりみはせじ」などを収めた作品集『清涼里界隈』(1944年[11]や、小説『濃霧』(1942年)などが知られている[1]。「かえりみはせじ」(初出:1943年)は、朝鮮人志願兵が故郷の母に書き送った書簡という体裁を取り、志願兵制度を讃える内容の書簡体小説であった[12][13]1945年3月には、長篇小説『武山大尉』と短篇集『清涼里界隈』により「国語文学、特に戦争文学に大きな貢献」ありとして、国語文学総督賞を受賞した[14]

親友だった李箱の恋人として知られたクォン・ヨンヒ朝鮮語版と結婚し、朝鮮戦争中に家族と共に越北した[15]。鄭人沢は日本統治時代から理念成果とは距離が遠い作品を使って光復後には国民保導連盟に加入した[16]記録があるだけで文壇活動もほとんどしていなかったため、朝鮮民主主義人民共和国に赴いた正確な経緯は確認されなかった。

越北後しばらく経ったころ、鄭人沢は兵士になっていた。クォン・ヨンヒは数年後、鄭人沢の友人である越北作家の朴泰遠と再婚し、朴泰遠のもとで育った鄭人沢の次女チョン・テウン(정태은)は北朝鮮の有名作家になった[17]。鄭人沢の越北以後の行跡や死亡年度はこれまで全く知られていなかったが、2006年離散家族の再会で北朝鮮に居住する姉と出会った朴泰遠の次男パク・ジェヨン(박재영)が、自身のブログを通して[18]、伝え聞いた消息を明らかにして公開された。

2002年公開された親日文人42人名簿2008年に発表された民族問題研究所親日人名辞典収録予定者名簿に含まれた。親日作品は小説6編と創作集1巻を含めて計13編が明らかになっている[19]大韓民国親日反民族行為真相糾明委員会が発表した親日反民族行為705人名簿にも含まれた。

경력

脚注

  1. ^ a b 相川拓也「成果報告書 (PDF)」松下幸之助記念志財団、2017年4月13日、3頁。2025年5月9日閲覧
  2. ^ a b 相川,2022,p.197(PDF:p.205)
  3. ^ a b 相川,2022,p.199(PDF:p.207)
  4. ^ 金南天 (2 1940). “新進小說家의作品世界”. 人文評論: 61-62. 
  5. ^ 相川,2022,p.200(PDF:p.208)
  6. ^ 金南天 (2 1940). “新進小說家의作品世界”. 人文評論: 61-62. 
  7. ^ 相川,2022,p.201(PDF:p.209)
  8. ^ 相川,2022,p.202(PDF:p.210)
  9. ^ 相川,2022,p.236(PDF:p.244)
  10. ^ 윤성효, "개척소설은 친일소설과 달라" 제기 - 소설가 김동민씨 〈한국 문학사의 탐색〉에서 지적 《오마이뉴스》 (2003.8.3)
  11. ^ 鄭人澤 (1944). 清涼里界隈. 朝鮮図書出版. https://books.google.co.jp/books?id=d-5ZMwEACAAJ 
  12. ^ 相川,2022,p.254(PDF:p.262)
  13. ^ 平山周吉「敵国日本」のために戦った朝鮮兵たち」『Book Bang』新潮社。2025年5月9日閲覧
  14. ^ 相川,2022,p.235(PDF:p.243)
  15. ^ 최재봉 (2006年5月15日). “월북작가 박태원 가족사랑 지극 - 북 행적 보여주는 가족사진·친필 편지 공개”. 한겨레. 2008年6月1日閲覧。
  16. ^ 광복 후에는~: 김기진 (2002-05-15). 끝나지 않은 전쟁 국민보도연맹. 서울: 역사비평사. p. 80. ISBN 8976962583 
  17. ^ 퍼슨웹, 아버지의 흔적을 찾아 헤매는 반백(半白)의 아들 - 소설가 구보씨의 아들 박재영씨 인터뷰 アーカイブ 2007年9月28日 - ウェイバックマシン, 2006년
  18. ^ 행복한 꿈과 삶을 함께 나누고 싶은 마음 アーカイブ 2007年10月15日 - ウェイバックマシン (다음 블로그)
  19. ^ 김재용 (8 2002). “친일문학 작품목록”. 실천문학 (67): 123 - 148. オリジナルの2007-09-28時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070928221313/http://www.artnstudy.com/zineasf/Nowart/penitence/lecture/03.htm. 

参考文献

  • 相川拓也(2022):朝鮮の植民地近代経験とモダニズム文学の言語 : 李箱、朴泰遠、鄭人沢の文学テクスト分析,東京大学博士論文(博士(学術)) CRID 1910866647411173504
  • 권영민 (2004-02-25). 한국현대문학대사전. 서울: 서울대학교출판부. p. 859. ISBN 8952104617 



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