都立公園に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:05 UTC 版)
1946年(昭和21年)6月、古河家は占領軍の財閥解体に伴い財閥家族に指定され、生活費まで認許を受けるような処置を受ける。さらに9月には公職追放により、会社経営に参画できなくなる。1947年、西ケ原邸は財産税などの物納で国有財産となる。1952年(昭和27年)に占領軍による接収は解除されたが、大蔵省の管轄となる。古河家へ払い下げの動きもあったが不調に終わった。 一方、地元東京都や北区からは旧古河家の庭園を公園化してほしいという強い要望が出された。こうした要望に応えて1955年(昭和30年)4月、大蔵省は、東京都に貸し付けることを決定した。こうして、約1年の整備を経て、1956年(昭和31年)4月30日、「旧古河庭園」として都市公園として開園した。しかし、貸付の対象は土地、および付属物に限られ、建物は払い下げ関係者との係争が決着せず、含まれなかった。 洋館等の建物は、その後約30年間放置された状態で「お化け屋敷」と言われるほど荒廃が進んだ。1981年刊行の北村信正「旧古河庭園」には洋館は「きづたに覆われている」とあり、蔦に覆われた洋館の写真も掲載されている。1982年(昭和57年)に東京都名勝の指定を受けると、それから1989年(平成元年)まで7年をかけた修復工事が行われ、現在の状態まで復元された。 2006年(平成18年)には、大正時代初期の形式をよく留める庭園が評価され、国の名勝に指定された。
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