都立国際高等学校との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 02:43 UTC 版)
「東京都立赤城台高等学校」の記事における「都立国際高等学校との関係」の解説
赤城台は校舎が古く、1970年代から建替や移転等の検討・協議が在校生・PTAやOBらで断続的に繰り返されていて、都にも陳情を行っていた。 上記とは別の動きで、1980年代に国際学科の高校の新設の検討が東京都の中で進められており、東京教育大学の駒場跡地に都立国際高等学校(当時、仮称)として新設される事が決定した。この時点で、赤城台と国際にはなんら関係性はなかった。 赤城台の各種陳情の中には、教育大学跡地に移転して校舎を新築する案(署名提出や陳情の一方的な形)もあったが、国際高校の新設が決まった事で、この選択肢の実現可能性がなくなった。この結果、赤城台高校は廃校する事が濃厚になった。 これを受けて赤城台存続を模索する側は、新設する国際高校に「発展的承継」させるという案を新たに陳情した。 東京都は赤城台が国際高校に承継されるという事を認めず、当然あらゆる公的資料にそのような記録は一切ないが、新設される校舎に赤城台高校の最後の2年間は移転同居する事を、東京都議会の本会議での議事の中で、認めた。 同居の2年間は、文化祭、体育祭、部活動などを合同開催し、また、新築校舎の施設の一部に赤城台所縁の名称を用いる等、赤城台の歴史や文化が引き継がれる実態は存在した。 しかし、校舎には2校の名称が別々に掲げられていたり、都への部活動の登録は別々の学校として取り扱われるなど、上記のような実態はあれど公的には一切承継されていない形が徹底されていた。なお、部活動は部員数不足により公式戦への参加が出来ないケースもあり、国際高校の初期は体育系チーム競技は大変苦労をした。中には野球部のように、廃部するケースも見られた。 上記のように、公式的には廃校と新設であって承継ではなく「赤城台の後継が国際」というのは事実ではない。一方で実態としては体育祭・文化祭や一部名称に歴史と文化が引き継がれた事実もある。
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