遺族関係者による主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/04 01:31 UTC 版)
「朝木明代市議転落死事件」の記事における「遺族関係者による主張」の解説
矢野・朝木直子らは、事件直後から 朝木明代は1992年から創価学会および公明党の批判を展開していた(#創価学会・公明党の追及を参照)。また、矢野らによると、創価学会からの脱会者の救済もしていた。 9月3日には高知の創価学会関係のシンポジウムで講演する予定であった 矢野らによると、明代の性格として自殺はあり得ない 事務所・自宅(ともに、転落現場から徒歩数分以内にある)に遺書はなく、事務所は照明・エアコンがついたままで、やりかけの仕事が中断した状態だった。財布等の入ったバッグも置いたままだった。警察や第三者の調査が行われなかった(後述)ため、事件前後の事務所・自宅の状況は、矢野・朝木直子らの証言のみが根拠である(裏付けとなる写真等も公表されていない)。矢野は9時19分までに事務所に戻って朝木明代が自宅からかけた電話を受けた。明代は「ちょっと気分が悪いので休んで行きます」と伝え、矢野は「ハイハイ」と答えた。朝木直子は10時30分頃に自宅と事務所に戻って状況を見ており、事務所は無人だったという。 矢野らによると、事件の2年ほど前から朝木明代や周辺の人物に対する嫌がらせや脅迫(いたずら電話、放火、ポケベルに入った不吉なメッセージと読むことができる数字列、など)があり、一部については創価学会員によることが判明しているという(ただし、その多くは、矢野・朝木直子の証言以外に根拠がなく、これらの事実が争点の1つとなった『東村山市民新聞』名誉毀損訴訟の判決では「事実の存在自体が確定できないものが多い」「仮に事実だとしても、創価学会または創価学会員によると確定できないものが多い」と判断された。) 転落現場の手すりには明代のものと思われる指の跡がある(擦った跡であり、指紋は採取できなかった)。これは、落下に抵抗したことを示している。 などを根拠に 謀殺である 創価学会が関与している と主張した。
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