道教研究の第一人者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 03:29 UTC 版)
日本の道教研究史において、福永光司は戦後の第一人者として位置づけられる。 元々は儒教の研究をしていたが、体格がよく柔道の強豪であった彼は兵隊に取られることが確実であり、生死の問題に行き当たって老荘思想および道教の研究を始めた。太平洋戦争中は戦場での苦痛を和らげようとして石油ランプの下で『荘子』を読み、復員後は高校の教師を務めながら『荘子』の翻訳を行った。 道教研究は、中国・欧米・日本のいずれの中国学においても古くから行われており、戦前の日本では小柳司気太、福井康順、吉岡義豊らによって担われていた。しかしながら、儒教や中国仏教などの本流に比べれば、末端の研究分野でもあった。福永は、1960年代に日本を訪問したある中国の学者から「道教のようなくだらないものを国立大学教授が研究するとは何事か、あんなものは迷信に過ぎない」といわれたこともあったと後年回想している。 そのような時代の下、日本では1950年に日本道教学会が設立された。福永は同学会に携わりつつ、1974年より1979年に至る5年間にわたって、東京大学文学部中国哲学中国文学第三講座において、「老荘・道教」をテーマとして講じた。この講座は、道教研究が他の分野と対等な分野として独立したことを示す、記念碑的な講座だった。 道教、中国思想に関する著作を多数残しており、特に『荘子』の訳が知られている。また、道教と日本古代史との関わりについても研究した。同郷の五木寛之と交流があり共著も出している。 教え子に麦谷邦夫、神塚淑子、坂出祥伸らがいる。
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