遊女・友君
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 05:50 UTC 版)
「浄運寺 (たつの市)」の記事における「遊女・友君」の解説
かつて西海路の港として賑わっていた室津には、他の港町同様旅人のための遊廓があり、「室の君」と呼ばれた遊女の長は容姿・品格・芸技に抜きん出ていたため数々の伝承が残されている。以下に、その一人であった友君についての伝承を記述する。 友君は本名を「ふき」と言い、木曽義仲の第3夫人 で、京都では山吹御前と呼ばれていた。その後義仲の討死により播磨国へ逃れた彼女は、途中の室津で身ごもっていた子供を死産。供養のため当地に留まり遊女 となった。 遊女・友君となったふきは琴を弾き、踊りを舞い、今様を謡って船旅の客を接待したが、心付けを受け取ることは決してなかった。ただし、亡子と義仲の菩提を弔っていることを知った客人より「花代」「線香代」として差し出されたお金については有難く受け取った。 そして1207年(建永2年)、法然が潮待ちで当地に立ち寄った際、友君は小舟をこぎ出し、自らの遊女としての将来に対する不安を打ち明ける。法然は「罪は決して軽いものではない。早く他に生きる道を見つけなさい。もし良い案が浮かばないのならば、ひたすら念仏を唱えなさい。阿弥陀如来は罪深い者こそ救って下さる」との教えを請う。その説法に感激した彼女は法然より得度を受け、当寺へ出家した。のちに赦免となった法然が京都への帰路室津に立ち寄り友君のことを尋ねると、彼女はその後、一筋に念仏を唱え往生したとのことである。
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