連盟役員・代表監督就任
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1996年に日本フットサル連盟の理事に選出、2000年に日本サッカー協会フットサル日本代表コーチ(AFCフットサル選手権大会4位、監督:A・マリーニョ)、2001年の木村和司監督の後を受けて日本代表監督に就任、その年にタイガーファイブ国際大会に参加し、プレートクラス(4位以下トーナメント)2位に入った。2002年のAFCフットサル選手権大会では初の決勝進出を果たし、準優勝。翌年の2003年にはワールドファイブ国際大会においてプレートトーナメントで優勝を果たした。また、当年のAFCフットサル選手権大会でも前回に続いて決勝進出を果たし、準優勝した。これらの功績によって日本はアジアでもトップクラスに位置付けられることとなり、この時に中心となった選手ら(相根、木暮、藤井、金山、前田、鈴村、市原、川原、和泉など)が後に世界選手権大会出場を果たす原動力となっただけでなく、現在まで長年現役選手として活躍している。futsalplanet(世界で最もメジャーな欧州のウェブサイト)においてworld futsal award of 2003世界ベストコーチ50に選出された。代表監督時代には「代表はフットサル振興の先兵である」との考えから、全国の地域強化やフットサルの地域普及に努め、代表強化と絡めた施策を積極的に展開した。日本フットサル連盟理事には、2010年 - 2011年の1期を除いて現在まで就任。2010年よりF・リーグ/規律・フェアープレー委員長に就任し現在に至っている。
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