近世の米騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 07:44 UTC 版)
一般に食糧価格を下げることと賃金を上げることは、食糧騰貴に対し同じ効果を持つ方法なので、日本でも鉱山・塩田・仲仕・中馬などの集団労働では賃上げ型の米騒動が(古い現物給与の習慣も相まって)見られる。加賀金沢の金箔職人、信州飯田の元結職人など同職者が集住するところでは、彼等の賃上げ争議が一般庶民の値下げ騒擾に合流して主導することも有った。欧州では花形産業の毛織物工場が中世末から都市内にあり、近世には炭坑も家庭燃料を供給するようになったので、労働者の賃上げ争議が食糧騒擾の一環であるという常識が早くから成立していた。しかし、日本近世は石高制だったので、藩米・扶持米の換金率が良くなるよう米価をつり上げる役を負わされた各藩の特権商人を標的とする街頭騒擾が、日本の米騒動のイメージになっていた。
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