近世の貨幣論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 10:19 UTC 版)
重金主義は、貴金属の蓄積とともに流出を防止し、対外征服や略奪、鉱山開発を推進した。スペインではサラマンカ学派が研究を進め、現在の貨幣数量説や購買力平価説にあたる学説も主張された。フランス王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールがとったコルベール主義も有名である。 ベンジャミン・フランクリンは、紙幣を普及するためのパンフレット「紙幣の性質と必要に関する控えめな問いかけ」("A Modest Enquiry into the Nature and Necessity of a Paper Currency")を出版した。パンフレットでは紙幣発行で貨幣の流通を増やし、投資や起業の増加、物価の上昇や移住者の増加をもたらしてヨーロッパとの経済格差を解決するべきと主張した。「時は金なり」という言葉もフランクリンによる。 日本の江戸幕府の改鋳では、政策担当者の貨幣観によって内容が大きく変化した。元禄・宝永期の荻原重秀による改鋳では貴金属の含有率を下げて名目貨幣化が進み、正徳・享保期の新井白石による改鋳では含有率を上げた。
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