近世の茶事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 10:15 UTC 版)
まず、中国から当初もたらされた茶は「抹茶」ではなく、「煎じ茶」と「挽き茶」であった。 「煎じ茶」は乾燥させた茶葉を煮出したもので、「煎茶」とはもともとこれを意味していた。「水色(すいしょく)」は黄色系で、保存状態が悪いと赤黒くなる。 一方の「挽き茶」は乾燥させた茶葉を臼や薬研ですり潰したものを湯で溶いたもので、「抹茶」の原型といえるものである。水色は緑系であった。後の抹茶との違いは煎茶と同じく露天の茶園で栽培されたことで、戦国時代になってから宇治で「覆下茶園」が発明され、茶臼の改良などにより現在の抹茶となっていく。 従来は庶民は煎じ茶、富裕層は抹茶を飲んでいたとされていたが、中世では庶民層も挽き茶を飲んでいたことが明らかになっている。
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