農村主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:40 UTC 版)
「マルティン・ハイデッガー」の記事における「農村主義」の解説
「ドイツ」と「ドイツ性」は何れもあまり明確な概念とはならず哲学者達は躍起になって明確な定義を与えようとしていた。ハイデッガーは通常の方式(人種差別的生物学の視点、ドイツ的な慣習を模索する試み、歴史を盾にとる経験主義的主張)に興味を示さなかったが、「農村主義」に訴える方法には共感していた。 ナチは新ロマン主義の農村主義的な部分を借用していた。国土の地勢、平野と川、とりわけ森を重視する。森の奥深くには精神を再生させる源が、謎が潜んでいる。「非本来的」な大衆が住む都会の対極にあるのが『民族(Volk)』である。民族は有機的な生を営む人々の姿で体現される。土に根差した農民とその家族がキリスト教と民族文学で清められ、人々の暮らしの神聖なる中心に据えられる。禁欲的な農民の姿はハイデッガーの自像でもあった。1920年代のハイデッガーは「彼ら」を避ける為、民族衣装を模した細身のズボンとフロックコートを纏っていた。職人技を実践してみたいと思ったハイデッガーは1922年に山小屋をシュヴァルツヴァルトのトートナウベルクに建てた。この地名は「死」を冠している為、ワーグナーが描いたニーベルンゲンの宝を守るアルベリヒ王の隠れ家になぞらえられた。
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