資材部配属以降
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1972年、本店の資材部配給課に異動し、後述する資材畑のキャリアが始まる。当時は芝浦、千住、越中島にあった配給所のほか、各支店、営業所にも資材倉庫が点在していたので期末の棚卸の際には現地に出向いて変圧器や電線の管理状況も確認した。当時先輩から叩き込まれたことのひとつは「当社のように毎年膨大な設備を発注する会社はややもすると取引先に対して強い立場になってしまいますが、取引先企業は、電気事業の設備や業務を共に支えるパートナーであって発注者論理だけを押し出して応対してはならないということ」であったという。また資材部門に15年在籍した経験として「およそ資材取引の姿勢を見れば、その企業の健全性や公正性を読み取ることができる」と回顧している。 1983年、福島第二原子力発電所の総務担当として赴任する。 1988年、スーパーネットワークユーに出向する。まったく別分野の仕事にカルチャーショックの連続であった。 なお、時期は明示されていないが、東京南支店大田支社長も務めている。 1995年、資材部長に就任する。取締役副社長就任後は企画・広報を担当した。 2001年、取締役に就任する。 2004年、常務取締役に就任し、関連事業部と資材部を受け持つ。常務就任後のインタビュー記事 では「グループ全体でのコストダウンの推進や生産性の向上については、これからが本番だと思います」とし、また、「現状で何が問題なのかに気付くのは誰でも簡単ではありませんが、たとえば、世の中一般の水準と比べてみたり、同業他社のやり方を見たり、そして何よりもお客さまの目線からあらためて見直してみれば、改善のネタは宝の山だろうと思います」「グループ経営をこれから本当の意味で推進していくには、人材の交流がもっともっと必要だと思います。グループ各社の垣根を越えて、異なる事業での経験を若いうちから積んでもらうことは、とても大事なことだと考えます」と語っている。
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